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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



八月の余市 (二)
 
 

 北斗の歌碑に 御賛同を希う
 郷土の詩人、違星北斗は、アイス人として、亡ぴ行く民族の哀愁とともに、はげしい詩魂の燈台に灯をつけた。私達はアイヌの聖地だつた南方エゾのエキゾチツクな郷里の誇りを感じ簿倖の詩人の爲めに彼の歌碑をたてることに協力しようではありませんか、“よいち”誌は満腔の意をもって、建設會の趣旨に賛同し、郷土の人々に賛同を願い、基金を募る次第である。何卒、具眼の士の御脇力を願う次第である。

 余市で発行されていた月刊郷土誌「よいち」は、昭和29年の第5巻第26号に違星北斗歌碑の「建設趣意書」を発表します。この歌碑は、平取町二風谷に建つ歌碑。後年、余市町に建つことになる北斗句碑の趣意書ではありません。二風谷です。以下、趣意書全文。

 違星北斗歌碑建設趣意書
 違星北斗が逝くなつて二十五年になります。ウタリーの最後の光芒のように、彼の短い生の中に鬱勃として湧き上つた感概と、その悲しいまでの民族の志を口語型のゴツゴツした短歌の中に歌いこめ、歌い上げ、民族の再生と快愉の道をさし示しました。
. 彼は英雄でもなければ偉人でもありません。只おのれの生の体験と、その内奥からの叫びを眞率に歌に托し、歌に支えられて短い生涯をとぢてしまつた一ウタリーとしての青年であります。
 彼の民俗的な研究には非常に輿味の多い領域を示Lているようでありますが、その完成には生活も生命も許しませんでした。もちろん彼の生涯は、ひたすら爆発的な生の燃焼として終始してしまつたのであります。
 今ここに北斗を慕い、北斗を憶う有志の発願によつて、彼の歌稗をウタリーの故地日高國平取村二風谷に建設することになりました。どうかこの「遺稿集」を手にせられ、北斗の生涯と志について、いささかでも思知るところある方々の御協力によつて、歌碑建設を實現いたしたく存じますので、よろしく御賛同と御支援をお願いいたす次第でございます。
 昭和二十九年八月十五日

  違星北斗歌碑違設の會
発起人 石附 忠平  小田 邦雄  加藤 善徳  鎌塚 扶  木呂子 敏彦  河野 廣道  後藤 静香  更科 源蔵  田上 義也  古田 謙二 (五十音順)

  歌碑建設募金計画
1、歌碑設計  田上築制作事務所 田上義也
2、工事費預算  七万五千円
3、募金  一口 二百円、 一口以上
4、送金方法  現金は、札幌市北一西十 門間清四郎方 違星北斗の會
 振替は 北海道僻地教育協會 振替口座小樽四一九〇番宛に願い、通信欄に「北斗歌稗建設墓金」と必ず明記して下さい。


 二風谷の碑は田上義也の設計。揮毫が金田一京助。「沙流川は昨日の雨で水濁り/コタンの昔囁きつつ行く」と「平取に浴場一つほしいもの/金があったらたてたいものを」の歌がかかっています。

 自分の悪いことを本当に知る事の出来る人は幸福です。
 私達は、自分を正しいと信じて他人を責めたくはありません。
 そして、私達は、私達に与へられた使命を、本当に正直に、真剣に生かして行きたいと思ふのです。
 私達を笑ふ人もあるでせう。
 笑って下きい。  
 心なき他人の思惑を気にして、自分の価値を低くしてまで、人にほめられることに努力するよりも、正直に、真剣に、自分の使命に精進した方がどんなにか、自分の真価を高め得ることでせう。
 その為には、他人の冷笑も、私達への糧であらねばなりません。
(「コタン」創刊号/中里凸天「巻頭言」)

 昭和2年8月10日、北斗は幼馴染みの中里篤治といっしょにガリ版刷り同人誌「コタン」を発刊します。北海道後志国余市郡余市町大字大川町一七四、中里方、コタン社。北斗たちの夢。