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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



七月の小樽 (二)
 
 

 左手には夏の間だけは青く輝く日本海が広がり、海烏が波間で羽を休めているのが見渡せた。電車はまるで波をかぶりそうなほどの海沿いを走っていく。小樽から銭函までの海沿いの路線は大好きな区間で、僕は列車の窓に額をこすりつけるようにしてその光景を眺めていた。
「ねえ、松井君」と棚田が席を立ったすきに岡が僕に声を掛けた。
「何?」と僕は言った。
「どうして外ぱかり見ているの?」
「海が見えるから」
「そんなにそっぽばかり見ていたら……」と言った岡の頬が赤くなった。そして、こう続けた。
「かわいそうじゃない。棚田さんが」
「なに、それ?」
「なに、じゃないわよ。男の子は鈍いんだからあ」
「うるせーよ、バカ」
僕は動揺を見抜かれないように、叫ぶようにそう言って、席を立った。
(大崎善生「Railway Stories」/夏の雫)

 大崎善生の「Railway Stories」を読んでいたら、ぽろっと見知った風景が出てきました。こういう札幌人は多いことを知っています。

 午后四時十分諸友に送られて俥を飛ばし、汽車に乗る。雨中の石狩平野は趣味殊に深し、銭函をすぎて千丈の崖下を走る、海水渺満として一波なく、潮みちなば車をひたさむかと思はる。海を見て札幌を忘れぬ。
(石川啄木「明治四十年丁未歳日誌」/九月二十七日)

 啄木以来、百年。どの時代の若者もここの海岸風景を描いてきました。どの時代の若者にとっても、ここが「初めて見たる小樽」です。啄木にして、「札幌を忘れぬ」ですか。(啄木にこう言われると、ちょっとうれしい…)
 どの時代の作品も捨てがたいけれど、ひとつだけ紹介と言われたなら、私の場合は、夕輝文敏さんの「海岸列車の女(ひと)」かなぁ。つぶれかかった短大の図書館で、この小説も載っているHP「ふるさと大夕張」を毎日研究していた日々が少しだけ懐かしいです。

 主人公・隆幸は、この春、札幌本社から小樽の営業所勤務となっていた。それまで住んでいた札幌のマンションから小樽へ引っ越そうともしたが、気に入った物件が見つからない。そんなこともあり、朝夕海岸列車に乗りながら通勤することになったのだが、小樽までの通勤は、海を見ながらゆったりとときを過ごすことができ、思いの他快適で、すっかり気に入ってしまったのだった。さらに、そこには、十三年ぶりの出会いがあった…

 銭函駅を過ぎると、あの女が座っている車窓には、青い海が広がりはじめた。僕は、遠くの海を見ている風を装いながら、あの女を見ていた。それは、シャガールの青の世界に画かれた絵のようであった。青い海原をキャンパスに、走り行く海岸列車の中で、あの女は紫陽花の花のように、淡く輪郭を現していた。
 車窓を見ているうちに、あの女と目が合った。僕は一瞬躊躇したが、目を反らすことができなかった。その瞳は、とても懐かしい感情を僕の心に注いでくれた。次第に、僕の胸は熱くなり、涙が出そうになってきた。
 その瞳の中には、内田美香がいた。
(夕輝文敏/海岸列車の女)

 私はラストの場面が大好きです。少しだけ、読書の邪魔にならない程度に引用させていただいて、この拙文を終わります。小樽へ、ようこそ。

 「お父さん、海まだ」
 この春幼稚園生になった和樹は、列車で行く初めての海水浴がうれしいらしく、何度も聞いてきた。
 「次の朝里駅だよ」
 僕は息子を膝の上に乗せながら言った。