七月の石狩 |
「コーン」 バットの芯でボールを捉えた快音が、青空を突き抜ける。白球はセカンドの頭上を抜け外野へと転がっていく。セカンドベースにいた野崎は、一気にホームベースを狙った。誰もが同点を信じて疑わない。 しかし、ライトの橋口から矢のような速さで、キャッチャーの輪島へとボールが返ってきた。 「滑れっ」 (成田智志「監獄ベースボール」) 明治二十六年七月二十五日、樺戸(かばと)集治監で行われた「樺戸・市来知(いちきしり)打球会定期戦」。監獄ベースボールの幕開けだ。 その日、夜が明ける少し前、市来知村を出た空知(そらち)集治監のべースボール隊乙班は、十名の看守に率いられ峰延(みねのぶ)道路を樺戸方面に向けて行進していたのだった。その乙班とは、樺戸集治監に移った典獄・大井上輝前(おおいのうえ・てるちか)が前任の空知集治監典獄時代、自ら手をとってべースボールの基礎基本を教え込んだ囚徒たちである。彼らは、常に手を抜くことなく全力でプレーし、打球会と称する試合では、ほとんど看守組に土をつけているという報告も入っていた。市来知村にべースボールの種が蒔かれてから、はや三年。そのベースボール隊が、今、樺戸集治監との交流戦に臨んでいる。 なんと、痛快な話ではあろうか。 野球の話って、十年に一度くらい、突発的におもしろい物語があらわれてきて、唸ってしまうことがある。かつての映画「プリティリーグ」もそうだった。 ああ、「野球」って、言ってしまった。 不意に、大井上の足元にボールが転がってきた。土で汚れたボールを拾い上げるや、大井上はグロウブをはめた長身の学生に向けて、矢のような球を返した。 「お上手ですね。失礼ですが、野球をやったことがおありではないですか?」 少し離れたところから、球を捕った学生の朗らかな声が響いた。 「何、君はいまなんと言った?」 「野球(やきゅう)ですよ、野球。いまの返球、すぱらしい球筋でしたからね」 「やきゅうだと……。べースボールのことを、ここでは“やきゅう”と呼ぶのか? どう書くのだ、教えてくれ」 「簡単ですよ。野原の野に、球と書くんです」 二人の会話を周りで聞いていた学生たちは、みな笑顔を浮かべている。 「べースボールを野球というようになったのだな」 「そうなんです。ご存知ではなかったんですね」 (同書より) 大井上輝前が正岡子規先生命名の「野球」に出会うまで、あと数年。ちょっとほろ苦い物語の終わり方もよかった。 |