五月の余市 |
窓の外で空気は大聲で笑つた その多彩な舌のかげで 葉が群になつて吹いてゐる 私は考へることが出来ない 其處にはたれかゐるのだらうか 暗闇に手をのばすと ただ風の長い髪の毛があつた (左川ちか「五月のリボン」) 「一枚のアカシヤの葉の透視/五月其處で衣服を捨てる天使ら緑に汚された脚」と歌い出す左川ちかの詩「緑色の透視」、これもいいですね。くらくらする。「五月」を歌う左川ちかには、なにか、エミリ・ブロンテの精霊でも宿っているのではないのだろうか。詩や詩人については私はあまり云うことがない。たとえば、 左川ちか。本名、川崎愛子。で、兄の川崎昇に話は移って(←どうして?)、伊藤整「若い詩人の肖像」の引用へと続いて行く… こんな展開に、もう、何の意味があるのだろうか。私は左川ちかの詩が読みたいんだ。 そういう意味では、左川ちかには「左川ちか詩篇」というHPがあることがとてもありがたい。これがあれば、あとは別に何もいらん。(吉田一穂についても、こういうHPがあればいいのに…) そこから、もうひとつだけ、「五月」の詩を。 亜麻の花は霞のとける匂がする。 紫の煙はおこつた羽毛だ。 それは緑の泉を充たす。 まもなくここへ来るだらう。 五月の女王のあなたは。 (左川ちか「春」) |