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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



四月の小樽 (一)
 
 

 祝津(しゅくつ)の燈台が、廻転する度にキラッキラッと光るのが、ずウと遠い右手に、一面灰色の海のような海霧の中から見えた。それが他方へ廻転してゆくとき、何か神秘的に、長く、遠く白銀色の光茫を何海浬もサッと引いた。
(小林多喜二/蟹工船)

 さあ、蟹工船の出航だ。

 小林多喜二の文章にも思想にも愛着のない私には、今でもわからない。一昨年の不況の時に、なぜ「蟹工船」があんなに読まれたのか。

 そんなに大事な本なのだろうか?

 私には読書感想文の方が面白い。曰く、「私たちはいかに「蟹工船」を読んだか」。

 団塊の世代の大人たちは、自分たちも苦しかった、君たちは若い、がんばれる。「蟹工船」を読め。変革は起こせる――呑気にそう言うだろう。もしかしたら、オレ達のおかげで日本は豊かになったんだ。君たち、この豊かさの中で甘えていてはいけない。価値観は広がり、君たちは様々な選択肢の中から君たち自身の人生を自由に選択できる。今ソレを選択しているのは君たちの責任なんだ、と。私は、そんな大人たちに言いたい。あなたが読んだ「蟹工船」にはそんなことは書かれていない、と。
(大賞・小樽商科大学学長賞/東京都・25歳・女)

 日本を豊かにしたのは団塊の世代じゃないよ。その親たちですよ。団塊は豊かさを享楽した最初の世代なんであって、あなたとそんなにはちがわない。「蟹工船」なんか、たぶん読んでいない。あなたの前でカッコつけるために、前の晩にこっそり「マンガ蟹工船」を読んだのさ。

僕を生かしてくれるものが 仕事での収入です。
でも 仕事をしても 仕事をしても報われない。
大学にいけば 何とかなるよと教えてもらったが 学校を出て喜ぶのは 派遣スタッフだけ(面接の人)。
「働きマン」なんてテレビでやっているらしいが ここには 少なくとも労働に対して前向きに考えている人は どの位いるんだろうか。
派遣の仕事ではなく 普通の仕事がしたい。
「カニをとる仕事」だって なんだっていいんだ。
(奨励賞・ネットカフェからの応募部門/東京・23歳・男)

 ネットカフェか…(行ったことないけど)

 僕は、平成十九年春に、父の仕事の関係で、広島県から、小樽へ移住してきました。
 小樽に住み、八ヶ月経ち、どうにか地理や環境にも慣れてきたので、今度は小樽ゆかりの著名人の事を知ろうと思いました。
 八田尚之、伊藤整、並木凡平などと共に、リストアップした中で小林多喜二では、小説「蟹工船」を選びました。しかし、題名から、どこかの国の工作船の物語かと思い、とっつき難さが先に立ち、ならばと、別の本棚の『マンガ蟹工船』を手にしたのでした。
(準大賞・白樺文学館館長賞/北海道小樽市・14歳・男)

 「どこかの国の工作船」には、笑ってしまった。中学生にして、小説「蟹工船」の正体、よく読みとってるじゃん。

 蟹工船は、日露戦争でスクラップになった病院船・運搬船を動く蟹工場に改造した船で、出来るだけ“安い命を持った人間”をめいっぱい積み込み、オホーツク海をつき進みます。
(同少年)

 その船に乗っていた人からの証言です。

 調査船ではタラのぶつ切りを馬鈴薯や白菜の味噌汁にいれて沖鍋にして食べた。重労働のあとでことのほか美味しかったという。七月に入ると船団に割り当てられたカニの数はそろそろいっぱいになる。網を集め、独航船は速度が遅いので早めに北のほうからまとまって函館ヘ向かう。笠戸丸は「ホームスピード」で宗谷海峡へ急行した。船中では網の整理や工場の片付け作業が行われる。
 植村氏は「笠戸丸では、労働はたしかに激しかった。しかし、会社組織になり、小林多喜二が書いた『蟹工船』の時代のような酷いことはなかった。貧しい農村からきた労働者の中には、故郷で米の飯を食ったことがなく、蟹工船では米の飯が食えるので、翌年も呼んで欲しいという人もいた」と語られた。
(宇佐見昇三「笠戸丸から見た日本」)