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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



三月の後志 (二)
 
 

 三月初めの雪は水分を含み、塊になって吹き上げていた。それが周辺の樹木にぶつかり余韻が消え去らないうちに次が襲ってくる。
 四才の私は父に背負われ、その渦の中で呼吸をつめながら耐えていた。だが、雪は見る間に私の防空頭巾の隙問を埋め、首から背中へと流れ込み、厚く綿の入ったねんねこの温もりも、父の体温も断たれてしまった。
 「ひゃっこいか! 辛抱しろよー!」
(本山悦恵「夕映えの羊蹄山」)

 父は洋服の仕立て職人だった。冬期間はスキーで注文を受けに歩いていたが、終戦直後であり色槌せた背広の裏返しか、繕いがほとんどで十年近くも東京で修業を積んだのに、腕の振るいようがない職人だった。
 だが、この日早朝、マッカリの村長宅から背広の布地が手に入ったので来てほしい、との電話がかかってきた。久々の仕事である。勇み立って出かけた帰り道、親子は猛吹雪に遭遇してしまう。朝、キモベツの駅の裏からルサン部落を抜け、マッカリに向かう途中の羊蹄山は、もや立つ中でなめらかな襞が鮮やかに浮き上がっていたのに。
 ついに、父は雪原の中に足を止め、私(実江)を背負いながらビバークする穴を掘り始める。父は「父さん一人ならなぁ…」と言いかけて口を噤んだ。あの朝、私が「連れていって!」とだだをこねなければ…という思いは、その後、大人になってからも私の中にも残りつづけている。

 本山悦恵さんの短編小説「夕映えの羊蹄山」。その、雪原での一夜から、父の人生は少しずつ傾いて行く。結核の発病。定山渓の療養所へ。実江は、父の療養先で、同じ入寮者の矢野守と知り合う。守への儚い恋心。守との駆け落ち。そして、父の人生に終わりの時が来たようだ。

 翌朝、西方の羊蹄山は雪雲に覆われていた。私は父が嫌う光景に、半分だけ力ーテンを開けながらなに気なく父を見ると、父の眼はしっかりと私を捉えている。光りのないその眼から見る間に涙が溢れ出てきた。
 「不欄な奴……」
 喘ぐように父の口から漏れた。
 もう表情では表わすことができないその一言には、私への愛情も憎悪も含まれている。私はどう応じればよいのかわからなかった。天井に眼をやり、両拳を握り締めたり、緩めたりして平静になろうと努めた。
 「戻っちゃいかん……側にいてくれ」
 縋ってのべた父の腕は枯れ枝のように細い。私は鳴咽しながらその手をさすった。
 「勝手をして、泣く奴があるか、泣くな」
 「もうどこへも行かないから……ここにこうしているからね」
 私がようやく言うと、
 「あの時、二人で死んでいりゃ、互いにこんな思いせずに済んだんだ。実江はもう覚えてはいまい」
 私は大きく首を振った。
 「雪の穴の中で偉い目に遭っただろうが、兵隊にもとられず、助かった時は死んだつもりで、いい生き方してやるって、気張ったもんだ。だが、父さんは、生涯あの穴から出ることができんかった。せめて実江だけは陽の当たる場所で、女の幸せをつかんでほしかった」

 そんなことはない。夕映えの羊蹄の麓で親子の人生が終われたことには、なにかの救いがあるのではないか。