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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



三月の小樽 (二)
 
 

 うらぶれた理髪床の店内。無装飾の黒幕の前に古風な床屋の椅子一脚。明治四十一年三月末の寒ざむとした小樽。戸外で微かにカラスの鳴き騒ぐ声がして、縞木綿の袷を着た松造が消毒用の容器をもって出てくる。ストーブの上にそれを乗せながら、客席を振り返って千田三四郎劇場の始まり、始まり。

 そろそろ店を開けようか。閑古鳥が鳴きっばなしのここには、どうせ客はこないだろうが、さ、気を入れてやろうじゃないか。今日でこの小樽での仕事はおしまい。それなりにけじめをつけなければな。……あいつのせいで店じまいにまで追い込まれたけど、思い直せば、生まれ故郷の東京でもうひとふんばり、《理髪床江戸屋》の看板をあげる踏ん切りがつけられたのも、裏返せばあいつのおかげだ。根も葉もない中傷記事で商売あがったり、いちじは夫婦一緒に死んで、あの記者野郎に崇ってやりたいと恨んだが、いまとなっては降りかかった禍を福に転じさせるため、東京で何がなんでも頑張りたい、そんな意気込みでいっぱいだ。
(千田三四郎「歌ふことなき人々<一人芝居>」)

 なぜ、江戸屋は店をたたまなければならないのか?

 啄木ファンなら誰でも知っている、ある事件。発端は、啄木が書いたこの小樽日報記事でした。「鬼甜頭病に就いて 理髪店にゆく人注意すべし」

 石川は、不潔な白癬菌頭(しらくもあたま)だったんですよ。散髪に来たときは秋も終わりなのに、まだ単衣(ひとえ)で、むっと垢じみた臭いがして、泥ハネつけた袴姿で、「僕は風のごときコスモポリタンだ」なんてことぬかして、胸をそらして気取ったりしていました。「躍進途上の小樽にして、かかる泥濘下駄を没する悪路は、けだし天下の珍なり」なんて、まさに陳腐じゃありませんか一緒の仲間にむかって、「陶淵明は酒に隠れたが、僕らは呵呵大笑に隠れよう」だってさ。壮士もどきに熱弁をふるいあい、煽りたてるんですよ。散髪の順番を待つうちに、急にそわそわと落ちつかなくなり、「タバコを少々、拝借できないか」。刻みタバコと煙管を受け取りながら、「僕は紙巻きをやっている」とけちをつけ、ひとくち吸っては盆の灰吹きにがつん。すーとやっては、がつん。遠慮会釈もなく刻みを煙管につめかえては、すーがつん、すーがつん。さんざんに吸われました。そして、「煙管に歯がたを付けるのは、おやじ、汚くていけない」をおまけにつけてね。

 いやー、凄い。北海道には「見てきたような啄木」を語る人多かれど、この千田三四郎氏ほどの人、聞いたことがありません。どう、凄いのか。その「見てきた」度が凄い。

 由子が小樽に帰ってくる。出されたんですか、養女の縁を切られて……。違う……。ほんのちょっと母親の顔を見に、ですって。本当ですか、それ。子供貰った養父母のがわで、生みの親に会わせる為に、おおっぴらに連れてくる。眉つばですよ。そんなこと、とても考えられない。なあ、お里。

 松造が話しているのは海老名天口堂。小樽で啄木一家の隣りに住んでいた姓名判断占師ですね。この舞台では、妻のお里の連れ子・由子を養子に出した口利きを海老名天口堂がやったとなっている。しかも、この養子話を持ってきたのは野口雨情だと。

 由子を貰った異人さん、アメリカの宣教師といったが、アーメン、アーメンと拝んでいると、そんなありがたい気持ちになるのかな。下世話にも生みの親には金輪際会わせないのが、こちらの仕来たりみたいなもの。異人さんは、そんなしみったれた考えを持たないのかな。海老名さん宛に手紙がきた。母親の意向を訊いてくれってことですか。

 「赤い靴」話程度で驚いてはいけません。なんと、最後には、京子を負ぶった節子まで登場です。

 律義すぎますよ、奥さん。いくら名前が節子であっても、節操.節義はほどほどにしなければ……。辱める気はないのですが、こんな可愛い京子ちゃんの頬のやつれようは異常ですよ。あまり食べさせていないようですね。奥さんだってそうですが。
 里子、そこまでぶしつけに尋ねなくても……。それ、本当のことか。初耳だが……。
 奥さん、函館のお友だちにせっかく買って貰った畳・建具を売り払ったって、本当ですか。いくら質草がなくなったとしても、それでは透き間風の吹きさらしだ。とすると布団だって売ったんでしょう。釧路のご主人からは、どうやら送金はなさそうだし……。これは容易ならぬことだ。
 違いますか。送金は二、三度あった? たぶん焼け石に水だったんでしょう。あの人は自分さえよければ、家族がどんなに生活に苦しんでいようと、「僕のせいじゃない」とうそぶいていられる人なんだ。奥さん、こうなったらざっくばらんに訊きますが、送金がとだえて食い物も買えない日が、ずーうっとあったのでは……。
 打ち消したいでしょうが、伏せた瞼は嘘をついていないようですね。

 いったい、こんな自信、どこから来るんだろうな。ここまで技巧に凝ると、くるっと裏返って、「バカ王子」人形の厚顔無恥に似てくるような気もします。