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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



三月の小樽 (一)
 
 

 明治の代も終わり、元号も大正と改まった大正二年三月、小樽新聞がなんと「永倉新八−昔は近藤勇の友達、今は小樽に楽隠居」の連載を始めます。

 年のころなら七十四か五、胸までたれた白髯(はくぜん)が際立って眼につき、広き額、やや下がった細い眼尻に小皺をよせ、人の顔を仰ぐように見ては口のあたりに微笑をたたえてすこしせき込み口調に唇を開く。見たところ圭角(けいかく)もなにも寄る年波とともに消されたかと思う隠居姿の杉村義衛翁、雪深い小樽の片ほとりに余命を空蝉のように送っているが、さてどこやらに凛としたきかぬ気がほの見えて枯木のようなその両腕の節くれだった太さ、さすがに当年永倉新八といって幕末史のぺージに花を咲かせた面影が偲ばれる。
(小樽新聞 大正二年三月十七日)

 みんな、びっくりだったでしょうね。新撰組が、まだ生きているんだ…それも、この小樽に!

 とは思うが、新撰組がまだ生きているのなら、聞いておきたいことが山ほどあるのは、今も昔も同じです。近藤勇ってどんな人? 土方歳三は、あの箱館で撮った有名な写真のイメージでいいのですか? そして、池田屋の大立ち回りのことも、もちろん聞きたい。

 このとき裏座敷には近藤勇と沖田総司、表座敷には縁側に永倉新八、藤堂平助がひかえ、必死となってむかってくる志士を斬りすてんと身をかまえる。おりしもひとりの志士が逃げていったのを永倉が追いかけていく。ところが表口には槍術の達人谷三十郎、原田左之助の両人がよらば刺さんとかまえているので、右の志士はひっかえしてきて永倉に立ちむかった。
 敵は大上段にふりかぶって「エイッ」と斬りおろすを、青眼にかまえた永倉はハッとそれをひきはずして、「お胴ッ」と斬りこむと、敵はワッと声をあげてそのままうち倒れたのでさらに一太刀を加えて即死せしめ、…(中略)
 そのとき藤堂はと見返れば、ふいに物陰からおどりだした敵に眉間を割られ流れでる血が眼にはいってひじょうになんぎしているようす。それとみて永倉は撃剣の加勢でもする気で横合から敵に、
「お小手ッ」と右の小手をのぞんで斬りこむと、敵もさるもの、「そうはいかぬ」とうけ流し、こんどは藤堂にはかまわず永倉へ斬ってかかる。これはなかなか撃剣(うで)ができるものとみえてよういに永倉を斬りこませない。
(新撰組顛末記)

 やっぱり、聞いてみるもんですね。「お胴ッ」、「お小手ッ」に、「そうはいかぬ」ですか!(思ってもいなかった「池田屋」光景でした…) 小樽新聞連載をまとめた「新撰組顛末記」は百年後の私にも爆発的な面白さです。(ま、殺人の話なんだから、「面白い」はちょっと不謹慎かもしれませんが)

 ところで… あなたの「永倉新八」イメージって、どうなっています?

 私は、すっかり2004年のNHK大河ドラマ「新撰組!」で永倉新八役をやった俳優・山口智充の姿形で固定してしまいました(笑) 「新撰組顛末記」には晩年の新八の写真もちゃんと載っているのですが、それでも、山口智充で揺るぎもしません。最近では、坂本龍馬イメージも福山雅治で固定しつつあるところです。北海道の人は日本史に疎いから、すぐにNHKの餌食になってしまいます。