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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



一月の小樽 (三)
 
 

 平成十一年一月三十一日、ジャイアント馬場、死す。

 横浜で用事をすませ、渋谷へ向かって東横線に乗っていた時のことだ。午後の早い時間で、天気も良かったせいもあるのだろう。僕は思いついたように新丸子という駅でおりた。東京に20年以上住んでいるが、新丸子は初めて訪れる街だった。
 ただ、かなり前から一度は訪れてみようと思ってた。どんな街なのか知っておきたかった。かつて、馬場さんが住んでいた街だったからだ。
(栃内良「馬場さんが、目にしみる」)

 栃内良(とちない・りょう)。小樽生まれ。八十年代、プロレスの世界が、アントニオ猪木率いる新日本プロレス(新日)とジャイアント馬場率いる全日本プロレス(全日)に二分され、日本社会も(どちらかというと)アントニオ猪木的な世界観をもて囃すような風潮の中で、ただ独り、「馬場派プロレス宣言」「馬場さんが、目にしみる」などの著書を発表し、「馬場さん」的な価値観を世に知らしめた姿はとても印象的でした。
 その時代、馬場のファンが日本からいなくなったわけでは決してありません。(私もいた) ただ、猪木信者の子どもの声がカン高かったことと、そんな子どもたちから小銭を巻きあげて稼ぐような半端なインテリくずれが多かったということなのだろう。(今もこの構図はたいして変わらないが)
 そして、あとひとつの理由が栃内良。彼の書くものが、とても、声なき大衆の声を代弁していて、あえて私が書き加えることなどなにもなかったからだった。(それは、馬場の死後発表された「馬場さん、忘れません」まで揺らぐことは一度もなかった) どれほど栃内良の目が確かかを語るのが、たとえば上のような場面。

 馬場さんは巨人をクビになり、2軍の寮を出されたあと、川崎の新丸子にアパートを借りる。金物店の2階の4畳半ひと間で、家賃は4000円だったという。
 これから自分はどうやって生きていこうか。その小さな部屋で馬場さんはそんなことを考えていたはずだ。故郷に帰って青果業を手伝うように、という母親の申し出を馬場さんは断る。巨人をクピになり野球の夢を断念した大男が故郷に帰って、体を曲げながら大根を売る。若い馬場さんにとってはツラすぎる光景だったかもしれない。
(同書より)

 たしか、寺山修司も、かつてジャイアント馬場論を書いた時、この新丸子時代の馬場の姿を論の核心に持ってきていました。気が確かなら、そして、「馬場さん」的な価値観が心にある人なら、誰だって、ここに「馬場さん」の原点があることを知っているのです。新丸子で降りたのは、だから、正しい。
 残念ながら、アパートは見つからなかったようです。金物店の2階。隣はお寿司屋さん。その2軒が隣りあわさった風景を見つけようとしばらく歩いたが、見つけることはできなかったようです。しかし、ここからが、栃内良。驚くべき殺人技が繰り出されます。おそらく栃内良しかできない恐怖のフィニッシュ技。

 幻となった金物店を想っていると、僕の頭の中にひとつの店が浮かんできた。アラヤベーカリー。僕が生まれ育った小樽市緑町にあったパン屋さんだ。お菓子も売っていて、幼い頃から毎日のように通っていた店だ。隣はタクシー会社だった。
(同書より)

 いやー、この瀬戸際で「小樽」が出てくると、私は切ないです。(おまけに「アラヤベーカリー」だもんね…)

 あのアラヤベーカリーは今でもあるのだろうか。僕は急にそんなことを考えていた。そして、アキは今はどうしているのだろうか。生きているのだろうか、それとも死んでしまったのだろうか。馬場さんが住んでいた新丸子の金物店を捜してるうちに、小樽のアラヤベーカリーとアキの物語が幻のように僕の中で甦ってきた。
 アキは僕より6歳下で、近所に住んでいた。アキの家は母親と兄のトモとの3人暮らしだった。昭和40年代の小樽はまだまだ貧しい家庭が多かった。アキの家も決して裕福とはいえないものだった。母親は病弱で父親がいなく、生活保護を受けて暮らしていた。(中略)
 アキが6歳の時だった。アラヤベーカリーの前の通りを横切ろうとした時、北照高校側から走ってきたスクーターにハネられてしまう。体のいろいろなところから血を流したが、大きなケガには至らなかった。アキは普段から近くの山や川で遊んでてスリ傷が絶えない子供だった。
 それでも治療費や慰謝料だということでアキの家にかなりのお金が入った。アキの母親にとっては思ってもいない大金だったはずだ。それから約1か月後にアキはまた車にハネられてしまう。今度はライトバンだった。アキは数日入院するが、すぐに退院して僕らと遊ぶようになる。アキの頭には包帯が巻かれていた。
(同書より)

 お見事! いやー、今日の試合も、凄かった! 次も、来るよ!