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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十二月の京極
 
 

 本山悦恵の短編集「夕映えの羊蹄山」に収められた小説「雪灯り」。

 大正中期、岩内の船大工・重造と妻・松代の間に生まれた信治郎。信治郎は、背中にこぶがあり、そのために首が肩の位置より滅り込み、顔は傾斜している。身丈も人並みはずれて小さかった。障害を持って生まれてきた信治郎に苛立ち、辛くあたる酒乱の重造。信治郎をかばう松代。舞台は、信治郎が柾(まさ)葺職人の修行をし、重造が誤って松代を死に至らしめた岩内の町が第一部。第二部は、一転して、冬の羊蹄山麓の町へつながって行く。
 約束より一年早く、柾職人の修業を終えた信治郎。だが、岩内の町にはすでにトタンや板金の時代が来ていた。親方でさえ柾屋に見切りをつけ、板金の技術を身につけるために札幌に出て行こうとしている始末。しかし、信治郎の目標は独立することだった。柾屋の先行きを思うと心許ないが、羊蹄の麓の農村で柾職人を捜しているから訪ねるようにと親方から薦められる。見知らぬ地でまた見せ物のような視線を浴びるのかと思うと溜息がでる。だが、他に行き先はない。信治郎は三ヶ月かけて考え十一月の末に初めてイワナイの駅から列車に乗った。
 クッチャンでキョウゴク線に乗り換え。十二月の羊蹄山麓は大吹雪だった。四日目の午後、ようやく足止めを食ったクッチャン駅前のえびすや旅館に開通の知らせが入る。吹雪は落ち着いたが淡く墨の湧くような空から、大粒の雪が際限なく降っている。

 やがてトンネルに入った。窓の隙問や入口から容赦なく煙が入り込み、旦那は襟巻で顔を覆っている。ほどよい振動でウトウトしていた鈴は咳き込み、旦那の膝に顔を埋めていた。
 信治郎はその苦し気な様子を見て、腰の手拭いを取り、鈴の顔に当ててやった。
 「あんた、なかなか気が利くね。わしはどうも気が回らん」
(本山悦恵「雪灯り」)

 キョウゴク線。軽川隧道。車内のダルマストーブにあたる信治郎の前に、温厚そうな中年の旦那と七、八歳くらいの女の子鈴が座っている。

 トンネルを抜けると間もなくキョウゴクだった。客は下車の支度をし、降り口に向かう者もいる。旦那は鈴を起こそうかと思案していたが、
 「こんな塩梅だと、起こすのは可哀相だな」
 そう言い、棚の行李に眼をやった。信治郎は旦那の気持ちを読み取り、行李を肩に担いで降り口に出た。
 その時、鈴を背負った旦那に、
 「大正さん、商売道具にしてはずいぶんちゃんこいんでないかい。なかなかめんこい娘でないの。十年もすればいい金づるになるべさ」
 一つ前の駅で乗車した老人が、鈴を覗き見て言った。
 「商売道具だなんて、とんでもない……」
 旦那は事情を話そうとしたが、商売柄弁解になると思ったのか、咳払いをしてごまかした。
 信治郎は無頓着なその老人の言葉に、この旦那に限って、たとえどんな状況に置かれても、鈴を水商売に沈めることは絶対にない。そう思いながら鈴と母が重なり胸が苦しくなるのを覚えた。
(同書より)

 キョウゴクで下車すると、駅員が総出で雪を撥ねていた。寒気のともなった雪が、さらさらと軽い音を立てて降っている。信治郎は旦那の後から駅の隣りの馬車停に入った。しだいに旦那と鈴の二人連れに惹かれていることを感じている信治郎ではあった。

 電気の線が引かれて日が浅い馬車停には、電気代を節約して小玉が一つ点き、そば、うどん、あんぱんと貼り紙がしてある上に、ランプが二つ辺りを照らしていた。
 旦那は鈴を畳の上がり場に下ろし、信治郎の側に来て、
 「橇が雪に埋まっている。起こしてやれ」
 と耳打ちをした。信治郎にはそう言う旦那の合図を、直ぐに汲むことができた。それくらいしなければ置いて行かれるぞ、ということなのだ。
(同書より)

 信治郎はもはや自分が柾職人として自立する道を諦めたことに気づきはじめている。そして、このまま旦那と鈴について行くであろう自分を。この雪原の向こうにあるというキモベツの町で。

 小さな鈴の寝息。

 信治郎の人生がことんと音をたてて転がったキョウゴク駅前。