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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十一月の石狩
 
 

「幸田君、それより君が北海道に来ているなんて、もっと怪事だ。こりゃどうしたことです」
 と、訊いた。
「僕が芝の電信修技学校へいってたことは御存知でしょう。御存知のように、お城坊主のなれの果ての家で貧乏だったから、実は給費生ではいったのです。そこで卒業後三年は、お上の命のまま、どこにでもいって勤務する義務が生じたのです」
 と、幸田成行は答え、
「しかし、最初の赴任先が北海道は後志国余市(しリベしのくによいち)だとは驚いた。もっとも例の高慢で、上司ににらまれた自業自得の始末ともいえますが。――あはははは」
 と、白い歯を見せて笑った。声は闊達であった。
「余市?」
「小樽の西、五里ほどの漁村です。鰊がばかにとれるので、電信局が作られたらしい」
「いつから?」
「一年と――何ヶ月になりますか」
「ふうむ。……で、きょうはどこへ?」
「札幌へ、ビール飲みに。――ときどき這い出して浩然の気を養いに来ないと、まるで身欠鰊(みがきにしん)みたいになりそうで」
「失礼だが、あの女人は何者ですかな」
「あれでも芸者です。こんな妙なものを作ってくれる積丹(シヤコタン)生まれの芸者で」
(山田風太郎「地の果ての獄」)

 アイヌの着物アツシを羽織った和人は「厚田日記」の戸田惣十郎に続いて二人目ですね。幸田成行とは、後の幸田露伴。そして、「幸田君」と話しかけているのは、南町奉行所与力から監獄教誨師に転身した原胤昭。小樽から札幌へ向かう幌内鉄道での思わぬ両者の邂逅… 山田風太郎の最大必殺技、のっけから炸裂といったところか。「五寸釘の寅吉」も「牢屋小僧」も大活躍の「地の果ての獄」、風太郎ワールドの真骨頂。

 ――これが石狩か?
 この世界に人が住んでいるのだろうか、このゆくさきに町があるのだろうか、と、ふと心もとなくなるような北の大地であった。
「……何にしても、瓦解後二十年にもならないというのに、江戸城お坊主衆のお子が北海道で電信技師をやっているとは、世の運命というものは、何といっていいやら。――」
「僕なんかより、南町奉行所与力がクリスチャンとなり、監獄教誨師となったというほうが、もっと変てこな運命ですよ」
(山田風太郎「地の果ての獄」)

 風太郎に向ひて
 言ふことなし
 風太郎はありがたきかな