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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十一月の小樽 (二)
 
 

 ある大手スーパーでは、このところ毎日、開店三十分ほどでトイレットペーパーは売り切れ、合成洗剤も六百円の大箱は午前中に売り尽くしている。また砂糖はキロ入り袋二個ずつに制限、みそ、しょうゆにも品不足の傾向が出ているという。デパートでもこれと似たりよったり。「歳暮用の砂糖や調味料はどうにか確保したが、お客さんの買い気が強くって…」とたじたじの体。トイレットベーパーを半期ごとに契約納入している病院や官公庁には、平あやまりで断りに駆け回っているという。(中略)
 この騒ぎの中で、間題の商品は軒並み大幅な値上がり。夏まで一パック(四個入り)九十−百二、三十円だったトイレットペーパーが、今では二百−二百二十円で飛ぷ売れ行き。砂糖も一キロにつき四十−五十円値上がりして、安くても百九十円前後。商店街やデパートで砂糖を目玉商品にすると、どこでも大勢の人たちが開店前に寒さを我慢して人がきをつくっている。
(北海道新聞 昭和48年11月26日 小樽・後志欄)

 原油価格が高騰し、アラブからの供給が止まると、なぜ、トイレットペーパーが無くなり、洗剤や調味料が値上がりすると当時の日本人が考えたのか、今でもわからない。でも、夕方、坂を下りてスーパーに行けば、学食のテレビで映し出してたのと同じ、商品棚からごそっと生活用品が消え失せた荒んだ光景を見ることができた。テレビに映るものなんか自分とは関係ない都会の文物とか思っていたけれど、この時初めて、自分も現代史(今日の出来事)のただ中にいるのだと実感したものだ。
 時が経って、去年の原油高騰騒ぎ。アメリカの経済破綻に端を発した今に続く日本の不況、閉塞感は、私に、36年前の第一次石油ショックの世の中を思い起こさせる。なにがそう思い起こさせるのか。
 まずいちばんには、「雇用」の問題に直接手がかかった点。去年の「派遣切り」、「内定取り消し」。36年前にも「雇用差し控え」という現象があり、当時学生だった私はなけなしの金をはたいて司書資格を取ったのだが、肝心の北海道の公務員採用試験が軒並み見合わせで、就職活動にも無知だった田舎者にはとても往生だった。結局、北海道に戻るのが15年遅れた。
 二つ目は、「学者」の無能。もちろん、当時、石油ショックを予測した経済学者も政治学者もひとりもいなかった。昭和48年元旦の新聞を読むと吹き出すばかりだ。高度成長の最後の夢を楽しく見ていた点では、私ら庶民と何も変わらないのだということをあの時痛感した。
 学者は起こったことを解説することしかできない。だから、私は、アメリカのサブプライムローンの破綻を予言した学者がいなかったことになどに驚きはしない。さらに、アメリカの経済破綻から数ヶ月後、日本で「派遣切り」が始まることすら学者が予測できなかったことにも今さら驚きはしない。そんなもんだろう、今も昔も。

 そして、最後の、36年前を思い起こす理由。それは、「政治」の無関係。今調べれば、翌昭和49年早々にも政府は「灯油などに標準価格を設定」とか「トイレットぺーパー、ちり紙の二品目を国民生活安定緊急措置法に基づく指定品目に追加指定」とかの事実が出てくるけれど、これこそ、まさに「データ」。結局、国民生活安定緊急措置法なんて、今に至るまで、知らんよ…

 この騒ぎに、経済企画庁などはいちいちデータを挙げて「品不足はあり得ない」と消費者の不安心理を解消するのに懸命。しかし「現実に店頭に物がない以上、消費者は信用しませんね」とあるスーパーの仕入れ担当者。さらに「紙も洗剤も絶対量は昨年より多く出回っているそうですが、買いだめ騒ぎで仮需要がふくらみ、一部の中間流通業者が先高を見越し大量にストックしているからね。本当に落ち著くのは年を越してから」といっている。
(同記事より)

 私たちは「データ」で生きているのではない。「トイレットペーパー」や「洗剤」で生きている。だから、スーパーの行列に並んだのだ。そして、恥ずかしい買いだめの記憶は、やがて私たちの生活に深い体質改善や意識改革のようなものを促した。国家や政治の指図などなくたって、私たちはそこで高度成長の幼児的な夢が終わったことを知ったのだ。身体で。
 「年を越して」、また来る11月15日。横田めぐみさんが北朝鮮に拉致された日。国家がやるべきは、北朝鮮に拉致された人たちを生きて奪還することひとつだと思っている私には、年金や税金の金勘定でなにかものを言ってるつもりの今どきの政治家がコドモに見える。