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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十月の京極
 
 

 本町字春日のぺーペナイ山上流に壮大なダムができつつある。町民は春日ダムとか、ペーペナイダムと言っているが、双葉という名前が出るのは次のようなわけがある。
 喜茂別町では双葉地区の土地改良をして造田する計画を立てたが、かんじんの水は、尻別川の水利権が北海道電力等にあるため他に水源を確保しなければならなかった。陳情を受けた国では、一双葉地区の水田だけに国費を投ずるよりも、より受益者の多い有効な方法をとりたい方針であった。たまたま倶知安町の水田の大半にかかわる旧土功組合用水施設が大補修を必要としたことや、共和町堀株川周辺の造田ならびに土地改良の要請などが重なり、国ではこれ等を総まとめにした用排水事業を計画して種々の調査を進めた。その結果、わが町ぺーペナイ川上流にダム建設が最良の方法であるとして、本町をはじめ多くの関係者の了解を得、必要予算も得て着工したのである。
 そういう経過からこのダム事業を「直轄かんがい排水事業双葉地区」と呼び、そもそもの始まりである双葉が残ったのだという。
(京極町史,1977年発行/「双葉ダムのあらまし」より)

 そうね。そういえば、京極に「双葉」という地名はないのに、あれは「双葉ダム」だもんな。(ダムに沈んだ地域の名前が「双葉」なのかと思っていた…) 共和町にはほんとに「堀株川」があって、昔から私は「ここはホビット庄につながっているのかい!」と喜んでもおりました。いろいろおもしろい発見がある地域ではあります。
 近年、さらに上流に北電の揚水式巨大ダムが建設中で、このおかげで、双葉ダムのはるか手前で交通止め。関係者以外、立入禁止になっています。一度、となりのワッカタサップ川上流方面から山越えして双葉ダム地域に入ろうとしたのだけど、蛸壺みたいな山道(両側が砂利道の急坂)にはまり込んでしまって、出られなくなってひやっとしたりしています。

 北電の新ダム。もしも呼称をつけるならば、私は「北の沢ダム」に一票。

――来春早々、北の沢がダムに沈むことになりました。つきましては、来る十月二十日、故郷に別れを告げる会を計画しております。森林組合と役場のご好意により、駅前から北の沢集乳所跡までマイクロバスが出ますのでご利用下さい。暖冬の影響もあってまだ雪の心配はないと思われますが、足元に十分気をつけてお出掛け下さいますように。
 平成十年九月吉日。北の沢ゆかりの会代表・佐藤真知子
さっきから俺は、何度もその葉書を読み返していた。
(峯崎ひさみ「穴はずれ」/「ヤンチャ引き」より)

 昭和四十三年十月、双葉ダム建設のため、北の沢で「別れを告げる会」ひらかる。

 数々の思い出が残る「北の沢」。峯崎ひさみさんの小説「穴はずれ」の舞台「北の沢」には、京極町の、羊蹄山とは反対側の山々地域のさまざまな要素が採り入れられていて、単純に双葉ダムに沈んだ地域が「北の沢」ということではありません。羊蹄山と山々の間の肥沃な地域(つまり京極町)は明治の初めからとっくに京極氏の一族によって占められており、後発の山梨県移住民団から樺太引揚者まで、彼らに与えられる土地はもう山々の奥(つまり北の沢)しか残っていなかったという歴史的事情を知る必要があります。
 土地開拓の困難さに次々と土地を離れて行く人たちの中で、必死にここに骨を埋めようと悪戦苦闘していた人たちが暮らしていた地域こそが「北の沢」なのです。たとえ夢破れてこの地を離れなければならなくなったとしても、そして誰もいなくなったとしても、峯崎ひさみさんの小説の中に「北の沢」の名は残りました。私はその人間の想いの強烈さに撃たれるのです。