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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十月の余市
 
 

 落葉の頃になると、私はいつも逝くなつた余市のアイヌ青年、違星北斗(エボシホクト)の事を憶い出す。彼はよく私の所へ遊びに來た、小学校も尋常科きりの学歴だつたが、読書が好きで、いろいろな知識をもつており、殊にみずからがアイヌであるとの自覚は、彼を一種の憤慨居士にしていた。
(古田冬草「違星北斗のこと」)

 違星北斗は憤慨する。

「和人の奴等は!!四海同胞なんか言い乍ら我々同族(ウタリー)をいつも蔑視しているぢやないか。小学校に於ける差別待遇はどうだ。漁場に於ける我々への酷使振りはどうだ。第一、我々を見る眸の中にあるさげすさんだ表情は何としても許されない。憎むべきは和人の優越感である」 (中略)
「そんなに怒らなくてもよいぢやないか」というと「先生は和人だから氣がつかないのだ。アイヌである自分にはシヤクに障って/\」と若い頬を紅く染めては憤慨を續けるのだつた。
(同書より)

 ところがある日、古田が俳句の素材を拾うため近所の野山をぶらつこうと玄関に出かかったら、北斗がやって来た。一緒に行くという。そこで二人は学校の裏山の方へと歩をむけた。その日の彼はいつになく静かで、かつ沈鬱だったという。いつもなら彼の口から必ず出る和人攻撃の言葉も、山路をどこまで行っても出てこなかった。それどころか、

彼はその落葉松の林の中へ入ると、何を思つたのか一本の幹に手をかげてゆさぶり出した。黄ばみつくした葉は、彼の力につれ、バラバラと散つてきた。彼は一本の木の葉を散らし盡くすと次の木へ手をかけた。そして前以上の力でゆさぶつた。枯葉は彼の頭の上から降つて、この多感なアイヌ青年をおそつた。彼は次から次へと落葉松の葉を落して止もうとしなかつた。私が声をかけなかつたら、彼はこの山の落葉松の一切を落としつくすまで止めなかつたかも知れない。
(同書より)

 北斗は語る。

 「先生、私の考えが浅かつたのです」突然彼はこう言い出した。「アイヌが無自覚なんです。我々(ウタリー)のどこにも立ち上る意氣がないのです。和人が悪いのぢやない。我々の意久地なしが悪いんだ……」こういう彼の声は泣いているかの如くふるえていた。「私はアイヌに生れたことが悲しかつた。然しもう悲しまない。私はアイヌなんかいう殻に閉ぢこもつていちあいけないんだ。アイヌを超越するんだ。私は大自然の子なんだ。私はまず自分のゆがめられた根生ツ骨をたたき直さねばならないんだ」こういつてから、彼は静かに近くの切株に腰をおろしたのだつた。
(同書より)

 北斗のゆり落した落葉松の葉がすっかり地を覆う中、二人は切株に座しつつ自然の呼吸に自らの呼吸を合わせる。

 「先生、これはどうでしよう」
しばらく経つてから、彼はノートをひきちきつた紙片へ何かを書いてつき出した。それには俳句が一つ書かれてあつた。
  枯れ葉みな抱かれんとて地へ還る   北斗

 文の最後で、古田冬草は「彼はその翌年結核で倒れた」と書いていますが、なにか、ここに描かれた違星北斗は若すぎる気がする。十七、八の思春期の青年みたいな言動だ。こういう違星北斗であってほしいと、古田は望んだということであろうか。


※ 今回の引用は、最近余市町立図書館が複製した月刊郷土誌「よいち」の中より、昭和二十八年三月発行の第2巻第15号に載った余市町民・古田冬草の「違星北斗のこと」を使っています。従来、在りし日の違星北斗を語る貴重な証言として名高い古田謙二(冬草)「落葉」とほとんどちがいはありません。タイトルが「違星北斗のこと」になり、若干の字句のちがい(誤植?)がある程度。