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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十月の小樽 (四)
 
 

 巻頭に、伊藤博文暗殺の報に悲嘆にくれる芸妓・文光の東京朝日新聞記事。

 寵妓(ちようぎ)文光(ぷんくわう)の悲嘆
 一昨日到達したる伊藤公兇變の報は殆んど全市を震愕せしめ親しきも疎きも皆國家の為其訃を悲しまざるなく誰言合さねど公の為に哀悼の意を表し一昨夜の花柳界は至る所ペンともシャンとも言ず全く寂寥は極たり、殊に去る三十八年まだ大阪の富田屋に居て蕾の色もあどなかりける其頃より公爵の寵を蒙り其後は公が旅路の上り下りにも必ず御前に侍して仲間の羨望を一身に集め居たる寵妓文光、去年京橋八官町大阪屋に自前の披露目をなしてよりは屡ゝ、大磯の別荘に御機嫌伺ひに罷り出で終始變はらぬ老公の愛情に浴し居たる事とて意外の悲報に接するや今は身の置き所さへなき様にて出の化粧に忙しきタ暮時を鏡の前に泣き伏して面も得揚げず袂を紋り居るこそ哀れなれ
(「東京朝日新聞」明治42年10月28日)

 松川雪乃は、六日遅れで東京から届いた新聞を握りしめたまま、もう一時(いっとき)あまりも端座していた。
(蜂谷涼「煌浪の岸」)

 いつものことながら、カッコいいイントロ。ぽつと時間が空くと、市立小樽図書館から蜂谷涼の小説を借りてくるのが楽しみ。もうあらかた読んでしまったかなと思っても、行けば、未読の本がどこかから一冊二冊は出てきて嬉しくなってしまう。

 伊藤博文。1905年韓国統監府が設置されると、初代統監に就任、韓国の外交権を掌握し、逐次内政の諸権限を収奪して植民地化を進め、韓国併合への地ならし役を務めた。09年(明治42)統監を辞任し、同年10月、日露関係を調整するためロシアの蔵相ココーフツォフと会談するため渡満、26日ハルビンに到着した際、駅頭で韓国の独立運動家安重根(あんじゅうこん/アンジュングン)に暗殺された。(日本大百科全書より)

 この伊藤博文の死が、遠く離れた小樽の松川雪乃や煌浪亭(こうろうてい)の仲居・おわかの人生にどう絡んでくるのか。それは読んでのお楽しみ、蜂谷涼の腕の見せ所といったところか。私は村山なんとかの談話などに聞く耳持たない。松川雪乃さんの心に残る博文公を信じます。