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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



九月の小樽 (三)
 
 

S76
 花火
 小樽運河
S77
 そのさんが歩いていく。
T 「53年9月 北海道小樽」
N 「姉のきみが死んでいたなんて!
そんなはずはない。母は一言もそんなことは言わなかった。
でも、そういえば、母がこの小樽で亡くなる前に、こんなことがあった」
S78
 そのさん、かよの住んだ町へ歩く。
その「母は亡くなる前に、二、三日前でしたけど、私が枕元に付いておりましたら、ぽっかりと覚めまして、いま国に行ってきたんだよって。山を登ったり、谷を渡ったり、とっても怖かったの、と言って頭が汗でぐっしょりでした。そして、国の人に会って来たよ。きみちゃんにも会ってきたよって、ということを言って、わたしをびっくりさせています。それから二日後でしたか、夕方なくなりました」
(日本赤い靴の会作成「ドキュメント・赤い靴はいてた女の子」台本より)  S=シーン T=タイトル N=ナレーション

 九月の小樽は「花火」と「運河」ですか。(才能、なさそう…)

 日本赤い靴の会(阿井渉介氏代表)が行った台本復元の努力によって、今、私たちは、昭和53年に放映された北海道テレビ製作「ドキュメント・赤い靴はいてた女の子」の全容を掴むことができるようになりました。じつに貴重な仕事だと思う。この阿井氏の告発がなかったならば、もう二、三十年は頓馬な北海道を続けるところだったのだから…
 同番組をノベライズした本、菊地寛著「赤い靴はいてた女の子」によって、ある程度のインチキさ加減は想像できたのですが、実際にその番組を見ていない(これからも見る機会はないだろう)人間には、なかなか外から何と言っていいのかわからない代物ではあったのです。

 日本赤い靴の会

 けっこう妨害が入るのか、時々掲示板がかき消されていたり、悪意ある書き込みがあったりするようですが、負けないで存続してほしい。いつか、人々は理解する。時が経てば、人のやったペテンなんか、丸見えだから。