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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



八月の札幌 (二)
 
 

 北海道へは二度しかいったことがない。昭和三十二年の夏と昭和四十六年の夏とである。ただし、どちらも半月近い旅であった。
 さてその二回の北海道旅行の印象であるが、どっちが愉しかったかといわれると、はじめてということもあって、いささか言いづらいけれど、最初の方に軍配をあげる。
 その旅から帰ってしばらくの間、人から「日本国内で旅行するならどこがいいか」ときかれると、判で押したように、
「金とひまが幾らでもあるなら別だが、そうでない限りは京都と北海道。あとは日本じゅうどこへいっても同じようなものだよ」
 と、答えたものだ。
(山田風太郎「北海道二度の旅」)

 山田風太郎の文章の大きな特徴は、当たり前のことを揺るぎない自信を持って言い切ること。
 はっきり言えば、爺の戯言(たわごと)に近いのだが、ここまで自信を持って断言されると、十回に一回くらいは走者一掃の場外大ホームランといった趣がある。

 いまから考えると、これまた信じられないような話だが、生ウニの味を知ったのも、そのときが最初であった。僕は瓶詰の練りウニの味がきらいで、ウニと聞いただけで手を出したことがなかったのだが、定山渓の夕食に出されたものがあまりウマいので、「こりゃ何だい」と聞いて、はじめてそれが生ウニであることを知ったのである。そのときは第九回日本産婦人科学会が札幌で開かれて、それに混じって北海道中を団体旅行したのだが、長万部のカニ弁当に大感心し、帰ってからも長万部の駅弁は日本一だとみなに吹聴したものだ(果たせるかな、いまで東京のデパートでよく全国の駅弁が売り出されるが、この蟹弁当がいつも最高の人気を占めるらしい)。また網走からの旅行列車の夜明け方、霧の真っ白な岩見沢駅で買った紙製のコップに入れた熱い味噌汁もウマかった。内容は豚とじゃがいもとごぽうのささがきで、この配合が気に入って、いまでもときどきの味噌汁を作らせるほどである。
(同書より)

 最後の、岩見沢駅の味噌汁って、これ、豚汁のことでしょう。(北海道の人は「ぶたじる」と発音) こんなに気合い入れて書くほどのものかよ(笑) ほんとに、こういうトボけ振りには脱帽。大好き!山田風太郎。

 「豚汁」話題ならば、もう一人、書いておかねばならない人がいます。

 午后一時数分札幌停車場に着、向井松岡二君に迎へられて向井君の宿にいたる、(略) 夕刻より酒を初め豚汁をつつく。 (啄木日記/明治四十年九月十四日)

 社よりの帰途、野口君佐田君西村君を伴ひ来りて豚汁をつつき、さゝやかなる晩餐を共にしたり。 (啄木日記/明治四十年十月三日)

 帰りは野口君を携へて来り、共に豚汁を啜り、 (啄木日記/明治四十年十月五日)

 さすがに小樽日報社を辞めてからは金回りが苦しくなってきたのか、「豚汁」が出てくることはなくなりますが、啄木は酒の肴「豚汁」が好きみたいですね。初めて札幌に入ったその日の宴会が「豚汁」だったことを見ても、庶民レベルの(家でやるような)酒席では「豚汁」はちょっと張り込んだ肴だったのかもしれません。