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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



七月の小樽 (六)
 
 

 明治13年(1880年)、手宮−札幌間において北海道初の鉄道となる幌内鉄道が開通。さらに、鉄道は、明治15年、札幌から幌内炭鉱(現在の三笠市)まで延伸。このようにして石炭輸送の大動脈が形成されると、幌内炭鉱から手宮に運ばれた石炭が小樽港から全国へ積み出されるようになります。石炭積出港として重要な役割を果たすこととなった小樽港は、明治30年、明治政府によって国際貿易港に指定され、いよいよ近代的港湾としての整備が不可欠となりました。

 小樽港は不凍港という利点はあったものの、冬には北西からの厳しい季節風の影響を受け、2メートルを超す大波が押し寄せることがありました。この大波の影響で、港湾での荷役に影響が出ただけでなく、船や貨物、沿岸の家屋までもが被害を受けていました。このような自然環境に対応できる外洋防波堤が、明治から二期に及ぶ工事により築造されることになりました。(中略) 小樽港築港の第一期工事は、アメリカやドイツで土木技術を学び実績を積んできた廣井勇が担当し、北防波堤が計画されました。
(国土技術研究センター「歴史と技術の資料館」HPより「小樽港」)

 その廣井勇指揮の「北防波堤」が完成したのが、明治42年7月。

 北前船以後の、小樽という町の運命を決定づけたものは、ひとつには鉄道。クロフォードの幌内鉄道と明治37年の北海道鉄道開通。そして、もうひとつこそは、廣井勇・伊藤長右衛門二代がつくりあげた南北の外洋防波堤ではないかと私は考えます。啄木から現在の小樽運河まで、小樽のすべての経済・文化は、これら明治人たちの命を賭けたインフラ構築のおかげで生まれた物語なのだといっていいと思う。

 駆け寄っていったりうに振り向きもせず、荻原は北へと伸びる防波堤を睨むように見つめている。
 未練げに闇が薄まり、海の果てが紫色に染まり始めた。
 荻原がごくりと唾を飲む音がした。
 荻原に使ってもらえるものならと、りうが角巻をはずしたときだった。雪雲のわずかな切れ間から、あかね色の朝陽がこぼれてきた。黒々とした波に溶けていた防波堤が、くっきりと浮かび上がった。
 「無事だったか……」
(蜂谷涼「海明け」)

 暴風雪に止められた汽車を降りて、荻原(廣井勇)は銭函駅から徒歩で南防波堤工事現場に駆けつけた。吹雪に中に立ちつくし、夜通し、荻原は防波堤を見守り続けている。

 「無事だったか……」
 腹の底から絞るような声でつぶやき、荻原ががくりと膝をついた。
 その手に握られているものに気づいて、りうは息が止まりそうになった。
 「荻原様、それは」
 ぎこちなくりうを見上げた荻原が、不思議そうにまばたきする。
 「どうして、そんなものを」
 荻原は、自分の手にあるピストルと、りうの顔とをゆっくりと見比べた。
 「……万が一、この高波でやられたら、責任は僕に」
 言い終わる前に、荻原の身体がどさりと崩れ落ちた。
(同書より)

 蜂谷涼の小説「海明け」では、第一期(北防波堤)〜第二期(南防波堤)とも廣井勇(荻原)の指揮による工事と描かれているが、実際には、廣井がかかわったのは北防波堤だけです。南防波堤の工事現場に廣井が立っているってのは歴史小説ならではご愛敬とでも申しましょうか。(でも、たとえば私が「海明け」を書いたとしても、やはり「廣井勇」一本で通したような気もしますけど… でも、ピストルまでは思いつかなかったですね、たぶん)

 歴史小説のセオリーなのかもしれないが、今回の「海明け」も登場人物(明治大正の小樽人)の個性が際立っていて、読んでいて至福状態。特に「小ぎん姐さん」の敵役ぶりには拍手喝采。

 「それこそ、ひとを色眼鏡で見るからさ」
 吐き捨てたりうに、小ぎんがふんと鼻を鳴らした。
 「いいかい。世間様は騙せても、この小ぎん姐さんまでごまかせると思ったら、大間違いだ。この目は節穴じゃあないんだよ。あたしゃねえ、あんたみたいな馬鹿な女が、毛虫よりも、蛆虫よりも、大っ嫌いなんだ」
(同書より)