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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



七月の小樽 (二)
 
 

 小樽は、汽車の窓からはるかに眺めただけでも、繁華な活気のある町のやうに思はれた。さうして、その港も、函館などとは比べものにならないほど、繁昌してゐるやうに見えた。それに、その町が、三方を丘陵にかこまれ、一方に青い海(港)がひらけてゐる形も、なかなかおもしろい。
(宇野浩二「北海道遊記」)

 宇野浩二、といわれても、今となってはなかなかピンと来ない。「蔵の中」、「苦の世界」、「遊女」、あるいは、「世にも不思議な物語」。もう、大きな図書館にでも行かないとなかなか目にすることはできないだろうなぁ。(私も全然読んでません)

私が、はじめて北海道に行くについて、いろいろな人に、北海道の『どこそこ』をまはればよいか、と聞いてみたところ、誰れも、まづ、札幌(あるひは登別)をあげ、それから、函館、旭川、それから、大雪山か阿寒の国立公園まで行けば、といつて、『小樽』をすすめた人は一人もなかつた。しかし、私は、小樽には、せめて、一泊して、一日ぐらゐは、滞在したいやうな気がした。
(同書より)

 「札幌(あるひは登別)」なんて、かなり古くさい「北海道」… それこそ、私が就学前の子どもだった時、こういう大人たちの「北海道」観に引き回されて、やれ「大雪山」だ、「阿寒の国立公園」だと連れまわされたけれど、苦しいことの方が多かった。景色なんか、五分もみてたら、もう飽きるしね。何時間も乗り続ける移動のバス。やっと見つけた旅館のテレビ。つけてみたら、NHKしか映らない!とか。子どもには、ストレス溜まる、楽しくない現実ではありました。(大人になるとちょっと見方が変わるのですけど…)

 ところが、小樽の駅で汽車が十分ほど止まつてゐた時、私は、右手の町のある方をながめた時、この町に下りたくない気がした。プラット・フォオムに面してゐる駅の建て物の板塀に、旭川でもよほされてゐる北海道博覧会の広告の札が、一尺ほどの間隔をおいてべたべたと張られてあり、しかも、その広告の意匠がケバケバしてゐるのが、目ざはりである上に、車窓から眺めただけで想像される小樽の町は、見た目には繁華で賑かさうであるが、なにか、さうざうしいやうに思はれた。それは、一と口にいふと、散文的であつた。
(同書より)

 そうですか。この北海道博覧会とは、1950年(昭和25年)の七〜八月に旭川常磐公園で開かれていた「北海道開発大博覧会」のことです。北海道経済が敗戦のショックから立ち直るきっかけにもなったイベントだったんですけどね。

 宇野浩二もまた啄木と同じく、小樽に「散文的」なものを感じていますね。なにかしら、やはり小樽には、がさつな、無教養な一面があるのでしょう。あるいは、これを正直に言わない文学者は相当センスが悪いか、政治的な文章しか書けない三流なのかもしれません。