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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



六月の札幌 (一)
 
 

 詩に歌われた街路樹
 ニセアカシアは、明治のころから、街路樹として植えられた代表的な樹木であり、多くの場所で見ることができます。
 そのニセアカシアが詩人北原白秋の詩に歌われていることはご存じかと思います。
 大正十四年八月、北原白秋が札幌に滞在し、北一条通のニセアカシア並木を歩いたとき、代表作の一つ「この道」を歌ったそうです。
 ニセアカシアの白い花は、六月中旬ころに咲くため、訪れたときは、すでに散っていたはずです。しかし、若々しく緑の葉を茂らせた並木が白い花を想像させたのかもしれません。
(広報さっぽろ 2006年6月号)

 その「この道」は、「この道はいつか来た道/ああ、そうだよ/あかしやの花が咲いてる」と一番、二番で「あの丘はいつか見た丘/ああ、そうだよ/ほら、白い時計台だよ」と歌われます。

 丘の上の白い時計台か… (まあ、いいか)

 明治の詩人って、本当にその花見たことがあるのかな?と思うことがままあります。白秋ではないけれど、たとえば、啄木は橘智恵子への想いを「馬鈴薯の花咲く頃と/なれりけり/君もこの花を好きたまふらむ」なんて詠ったりしますね。この歌には、智恵子の兄が「けっ!あんな田舎臭い花に妹をなぞらえてくれるなよ」とちょっと不快感をあらわにしています。(まあ、そんなもんでしょうか…)

 日本医専の生徒の美少年のSがまた角帽で、絵具函を片手にぶら提げ、小躍りしながらやって来る。
 「先生、札幌はいいです。あかしやがいい。大通りの中に花畑があって、子供が遊んでいて、実際美しかったですよ。東京よりいいです。それに大学や植物園の楡(エルム)がいいです。素敵。」
 「ほう、いいな。画いて来た。」
 「ええ、沢山。」
 京都の若い警部さんで温厚で真摯な紳士A君がまた眼鏡を輝かし輝かし帰って来る。
 「牧場はいいですよ。月寒(つきさっぷ)の牧場は、雄大で羊(シープ)がいて。ええ、行って来ました。向うに野幌(のっぽろ)の原始林が見えましてね。それに地平線までが緑ですからね。もっとも月寒のタ方がいいそうです。夕日の頃が、羊を追って帰る頃が、まるで日本ではありませんよ。」
 惜しいことをしたなと思う。
(北原白秋「フレップ・トリップ」)

 八月にアカシア話題もないだろうと思い「白い花」に合わせ六月に持ってきましたが、意外と白秋の「アカシアの八月」は正解かもしれない。
 白秋が札幌を訪れたのは、大正十四年八月、船での樺太紀行の帰り道です。札幌に行くチャンスは、往きの航路の途中、小樽に立ち寄った際にもありましたけれど、白秋は小樽でくずぐずしていました。ですから、「札幌」イメージの第一報は戻ってきたこのS少年やA君からもたらされたと考えられます。それらが、詩の言葉としては「白い花」や「丘の時計台」に結実したのだと思いますが、実感としての「札幌」は、訪れた八月のアカシア並木で決定打ではなかったかなと想像したりしますね。
 アカシアの爽やかさはその葉が街路に落とす影。短い夏の陽射しの中、アカシアの並木の下を歩く時、たしかに私も、札幌の街に住んでいる幸せみたいなものを感じることがありました。遠い昔の話ではありますが…