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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



六月の小樽 (二)
 
 

■ オタモイに「竜宮閣」オープン
 1934年(昭和9年)6月15日、小樽の景勝地オタモイに「竜宮閣」がオープンした。
 花園の料亭経営者が巨費を投じて建設。断崖絶壁を切り開いて太い柱を組み、その上に大きな御殿を築いた。
 秘境といってもいいようながけに浮かび上がる様は、現世(うつしよ)の竜宮城といったところか。
 そういう場所だから、建築資材は船で運び、がけから引っ張り上げた。周辺には順次、遊園地や演芸館なども整備されたというから、いわば大型レジャーランドのはしりともいえそうだ。
 五十年代初めに火災で焼失。絶景が仇となり、消防車も近づけなかった。まさに、うたかたの夢の跡。今は、その土台部分が残るばかりである。
(北海道新聞 2007年6月15日 小樽後志欄「きょうは何の日」)

 一昨年の道新・小樽後志欄の連載コラム「きょうは何の日」、去年の「人物散歩」、どちらも良かった! 全部切り抜いてファイルし、私の大切な小樽資料です。ふたつは互いに補い合うような構造になっていて、例えば、このように「人物散歩」を合わせると半端な小樽ガイドなど問題にならないくらいの蘊蓄に。

■ 加藤秋太郎 (1869-1954年) オタモイの断崖にリゾート
 かつて、オタモイ海岸の断崖絶壁に一大リゾートがあった。オタモイ遊園地。特に宴会場「龍宮閣」からの夕日は日本一と言われた。
 名古屋生まれの加藤は東京の料亭で修業した後、小樽・花園に料理店「蛇の目」を開業。繁盛するが知人から「小樽には名所がない」と言われ一念発起。巨費を投じ1932年(昭和7年)の「白蛇弁天堂」を皮切りに、「龍宮閣」や食堂、演芸場などを建設し、道内一の観光地に育てた。
 戦時中は「ぜいたく施設」とされ、休業。遊園地も人手に渡り、加藤は料理界、実業界から引退した。1952年に龍宮閣が焼失し、遊園地は幕を閉じた。
 今もオタモイ海岸の断崖に残る龍宮閣の礎石と、オタモイ遊歩道近くに移築された唐門は、加藤の「夢」の跡でもある。
(北海道新聞 2008年 小樽後志欄「人物散歩」)

 今年の連載は「10年前・30年前」といって、10年前と30年前の小樽・後志の今日の出来事を当時の北海道新聞記事から拾ってくるのだけど… なんだかなぁ、自分ちの新聞記事使ってやるのはちょっと安易ではないだろか。それに、三十年前なんてなんともケチくさい。どうせやるなら、使うべきは「小樽新聞」、日露戦争勝利で繁栄していた百年前の小樽をドーンと描いてほしいものだ。