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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



五月の小樽 (一)
 
 

 この年の初めから改造社が新聞に、半頁、一頁の大きな広告をしばしば出して「現代日本文学全集」というのを宜伝していた。学校に出入りする本屋が、その見本を教員室に持って来た。それは菊判三段組みで、細かな六号活字でぎっしりと組んであり、定価一円であった。明治以来の大家たちの代表作を網羅したもので、内容に較べて格段に安かった。
(伊藤整「若い詩人の肖像」より)

 これは「円本(えんぽん)」といって、大正末、改造社の「現代日本文学全集」を口火に、各社から続々と出版された一冊一円の全集類の俗称です。関東大震災によって大打撃を受けた当時の出版業界や作家たちを復興させたという、日本の出版史上では大変有名な話ではあります。
 この「円本」ブームが小樽に上陸。昭和二年五月二十日、改造社は、講演者に芥川龍之介と里見クを引き連れ、久米正雄撮影の映画「作家の生活」をもって小樽稲穂男子小学校に現れます。観客席には、伊藤整はもちろん、小林多喜二ら「クラルテ」の同人たちも。

 小柄で健康そうな、三十四五歳の男が、背広をきちんと着て壇上で喋っていた。(略) 里見クがその話をしている間、この戸内運動場に続いている廊下の角のところに、着物に袴をつけた蒼白い顔の長髪の男が立っていて、ひっきりなしに煙草を喫い、髪をかき上げていた。
(同書より)

 この神経質そうな男が、芥川龍之介。講演の後に上映された「作家の生活」で、自宅の縁側前の百日紅の樹によじ登り、幹に手をかけてこちらの方をじっと見ている芥川の映像とともに、芥川龍之介の異様な姿は若き日の伊藤整にとてつもない衝撃をあたえます。事実、芥川が自殺をはかるのはこの講演会の二ヶ月後のことであり、たしかにそれは異様な何かではあったのではないでしょうか。
 「若い詩人の肖像」は伊藤整晩年の作品であり、この芥川の姿を描く筆致は(これでも)まだ抑えられている方なのです。この時の衝撃を物語るものとしては、文壇デビュー時代、三十二歳の時の作品「幽鬼の街」に描かれた「塵川辰之介」の方が適切かもしれません。
 描かれる伊藤整の内面も、彷徨う小樽市街の光景も、どっちもどっちの「幽鬼の街」状態であるという凄まじい作品。(でも私はこれが伊藤整を見直すきっかけになりました) 「塵川辰之介」が登場するのは、そのラスト直前です。

 ――クワック、クワック、クワック、僕は河童ですよ。どうぞ僕をカッパと呼んで下さい。僕は近いうちに人間界に別れをつげて河童の国へ移住しようと思っています。(略)
 そこまで言ってから塵川辰之介は、百日紅の樹の上に腰かけたまま、聖ガブリエルの大喇叭にもまごう大きな喇叭をとり出し、今や縁側も家もなくなった漠とした空間に向って嚠喨(りゅうりょう)と吹くのであった。その音は虚空に届いて反響し、地の果てまで鳴り渡って、芸術家の心魂を呼び醒ますようなものであった。
 ――とてとてたあ! とてちちち! たたたた、ちちちち、てらてらたあ! たあ、たあ! らららら、りろりろ、ちろとれらあ!」
(伊藤整「街と村」より「幽鬼の街」)