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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



四月の小樽
 
 

 開店の日がきた。四月二十九日は昭和の日。天気予報によると、晴でも雨でもないうえに気温は平年並みらしい。祝日ということをのぞけば、特徴のない一日になりそうだ。
 柊子は新聞配達から帰ってきた。ただいま、と、玄関先で声を張る。耳をすましても、応答の声はない。それでも、ただいま帰りました、ともう一度いって、靴を脱いだ。
(朝倉かすみ「タイム屋文庫」)

 入船町の「タイム屋文庫」、本日、開店。

 札幌の独身OL・市居柊子(いちい・しゅうこ)は、亡くなった祖母・ツボミの小樽の家をひきとる。そこで始めたのが、「タイム屋文庫」。十六の時の初恋小樽デイトで、吉成くんが言ったひと言「タイムトラベルの本しか置いていない本屋があったらいいな」が、十年後の今に実現しようとしています。「夏への扉」「たんぽぽ娘」「シューレス・ジョー」「ふりだしに戻る」「マイナス・ゼロ」「御先祖様万歳」…

 札幌でこれをやろうとしたら、おそらくは、「低レベル」(=お客とそう変わらない、この程度の教養でよく商売しようと思うなぁ…)のひと言で一蹴でしょうね。でも、小樽には、これをまんまと成立させてしまう風土がたしかにある。(日本初の病院図書館「ふきのとう文庫」を実現したのも小樽だったし…) これを、街の文化度の高さと勘違いして失敗するのも小樽なんだけど、そこを含めて、こういう夢物語を野放図に語れる風土が小樽なんだとは思います。今も昔も。ツボミ曰く、

「ヒロミは器量よしだけどけんがある。サエコはおっとりしてるといえば聞こえがいいけど、ありゃただのぼんやりだ。シュウコには考えなしのところがある。本人は考えているつもりだろうけど、でも、あの子の根っこは抜け作だから」
(同書より)