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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



二月の小樽
 
 

 二月七日、東京に大雪が降った。(中略)
 東京だって、こんなに寒いんだ。いっそのこと…。
「北海道に行かねえか。俺にゃ、ちょいと捜したいひとがいる。おめえにも、追っ手が迫ってるらしい。船に乗って何日もかかる遠いところだし、とてつもなく寒いとも聞くが」
 銀次が訊き終わる前に、ロビンは、こっくりとうなずいた。拍子抜けするほどだった。
「大丈夫(でえじよぶ)かな。ちゃんとわかってんのか。俺ァ、身寄りもなけりゃ、東京なんぞに未練もねえ。けど、おめえは、どうなんだろうな」
 ロビンが、銀次の目を真っ直ぐに見つめてにっこり笑い、小さな歌声で応えた。
「ヘラヘーノマンキッツアン」
 そうして、大雪の後幕が引かれるが早いか、銀次とロビンは、おシカ婆ァたちに別れを告げ、北海道行きの船に乗ったのだっだ。
(蜂谷涼「てけれっつのぱ」/てけれっつのぱ)

 京橋の路上で、追っ手から逃れようとしていた異人の女ロビン。ふとしたきっかけで、ロビンをかくまうことになってしまった俥ひきの銀次。銀次は、ロビンに迫る見えない追っ手への警戒と、そしてまた、心に想いを寄せる「あや乃様」の安否を確かめるため、ついに自身で北海道へ渡ってみることを決意する。

 きし屋の店先を眺めているうちに、あたりは宵闇に包まれてきた。下駄屋も小間物屋も店じまいにかかっており、軒並み空家になっている並びの中で、きし屋の灯りだけが、わびしくにじんでいた。
「うちもそろそろ閉めましょうか」と振り向いた年増に、「これっぱかし、売り切っちまいましょうよ」と婆ァが応えた。
 業突婆(ごうつくばば)ァめ。(中略)
「良かったァ、間に合って」
 大げさな声を出しているのは、片手に髪結の台箱を下げた女だった。粋な子持縞の着物に黒繻子の帯を締めてはいるが、頭のてっぺんで束ねた亜麻色の髪といい、真綿のような肌といい、青い目といい、間違いなく異人だ。
「うちの人、寄らなかった」
「いいえ。今日は、まだお見かけしていないわ」
「じゃあ、蓮根のきんぴらと、秋刀魚と大根の煮たのと、卯の花妙りをくださいな」
「ついでに、ひじきも持っておいき。おまけだよ」
「残り物で悪いけど」
「いつもすみませんねえ」
 婆ァと年増が、異人の女と親しげにぽんぽんと言葉を交わしているのが、不思議な図に見えた。
(蜂谷涼「てけれっつのぱ」/死神)

 小樽の街の、きし屋店先の光景を窺っている者の名は、まだ明かさなくともよいだろう。蜂谷涼の好んで描く明治初期小樽の作品群の中でも、飛び抜けて異彩を放つ「てけれっつのぱ」。
 2008年10月には劇団文化座が舞台公演。同年の文化庁芸術祭賞を受賞しています。ぜひ、小樽でもやってほしい。