一月の石狩 |
「寒くなったな。もう帰(けえ)ろうか」 鉄太郎がいった時、 「いやいや、ほら来たじゃねえか。開拓判官様がよ。望来から二里いくらを、のそのそ歩るいて来るてえから、少々変った男かも知れねえ。面だけ見てけえろうや――ほら来たじゃあねえか」 宮川は峠の上を指さした。 「お、来た来た」 みんなやっばり緊張した。 一行は川の道を歩るいて来た。 そして、開拓判官松本十郎と鉄さんが顔を見合わせたのは、川から岸の道へ上って来た其処であった。 「おう」 松本判官が、実に突っ拍子もない声で立ち停り、身を反らせるようにした。 「本所の斎藤さんではないか」 「え」 鉄太郎は、目を据えて、息を詰めた。松本判官は外套代りにアイヌのアツシを着て、無造作に頬から顎への髯を伸ばし、鼻下にも髯があった。 「お、何ぁんだ、おのし、戸田惣十郎さんじゃあないか」 「おお戸田よ、忘れんでいて呉れたか」 「こ奴は驚いた」 (子母沢寛「厚田日記」) 箱舘戦争の敗残者、江戸の侍が、蝦夷石狩の厚田(あつた)の村にひっそりと暮らしていた…とはじまる子母沢寛の「厚田日記」。上野の山の彰義隊の生き残り、斉藤鉄太郎が選びとった江戸最終の地・厚田とは何か? 冬になっていた。 何処もここも雪で厚田の村はこの下に押し潰されたようになっていた。思いもしない雪の割れ目から煙が静かに立ち昇ったりしている。南から東を廻って北へつづく山は、さらでだに朝を遅くした。たまには西の海が凪いで、遠い小樽方面の山々や、真っ紅な夕陽の沈むのがはっきり見える日もあったが、多くは海鳴りが物を叩きつけるように聞えて雪が降っていた。 四月になってこの雪が解けない間、村の者は何にも出来ない。寝食いと言い越年(おつねん)といった。 (同書より) 小樽からも厚田の山々が見える。あそこに斉藤鉄太郎がいることが、私を、もう少しだけ小樽にとどまってみようか…という気にさせる。 |