十二月の小樽(二) |
廃船のマストに けふも浜がらす 鳴いて日暮れる張碓の浜 (小樽・並木凡平歌碑) 小樽の口語短歌運動を強力に牽引し続けた並木凡平。小樽新聞の記者だった彼は大正13年、同新聞紙上に口語歌欄を設け、多くの口語短歌作者を輩出させました。その規模、 『青空』自選歌号(昭和8年6月)は、北海道内全域の口語歌人165人の自選歌と、プロフィールを載せています。平均年齢は25歳前後、職業、学歴もさまざまで、かつてなく「間口の広い」文芸運動となっていたことがわかります。 (市立小樽文学館「並木凡平」展チラシより) そのピークともいえるのが、昭和2年12月の「新短歌時代」の創刊。もちろん、並木凡平の手による編集・発行です。そして、創刊号には、並木凡平のもうひとつの功績もくっきりと刻印されています。それは、「違星北斗」の発見。 私は叫ぶ、北海道から畸形的な新技巧派歌人が生れるより、この一人のアイヌ歌人の、どれだけ意義深い出現であるかを。ひっけふは真実の前に何ものも打勝つ力のないことを知った私は北斗君の前途に多くの期待をもつものである。 (「新短歌時代」12月創刊号/並木凡平「河畔雑記」より) 並木凡平は、昭和2年12月4日付の小樽新聞にも「歌壇の彗星今ぞたつアイヌの歌人余市の違星北斗君」という紹介記事を書いています。そして、同月19日からは北斗の「疑ふべき…フゴツペの遺跡」連載がスタート。 にぎり飯腰にぶらさげ出る朝のコタンの空になく鳶の声 暦なくとも鮭くる時を秋としたコタンの昔思ひ出される シャモといふ優越感でアイヌをば感傷的に歌よむやから 俺はたゞアイヌであると自覚して正しき道を踏まばよいのだ その姿は、まさに「彗星」。歌だけでも衝撃なのに、「フゴツペ」のような散文も書くとは! 読者は度肝を抜かれたでしょうね。アメリカ国歌をエレキ・ギターでグシャメシャに弾きはじめたジミ・ヘンドリクスみたいなものかな。 |