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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十月の後志
 
 

 1941年(昭和16年)10月12日、倶知安−伊達紋別間の鉄道が全通しました。後の国鉄胆振線です。路線としては1919年(大正8年)に倶知安−京極間、1928年(昭3年)に京極−喜茂別間が開通していましたが、喜茂別−伊達紋別間が残されていました。
 開通早々、昭和新山の隆起に見舞われるなど、路線としてはかなり無理筋の感がある胆振線のルートです。しかし、ここには、京極町の脇方(わきかた)鉱山から出る鉄鉱石をショートカットで鉄の街・室蘭方面へ送る必要があったのです。ゆずれない国策でした。事実、第二次世界大戦の激化にもかかわらず、戦時中に国有化。
 一時は急行も走り、後志の農産物輸送に、旧大滝村北湯沢の観光客らの足にと大活躍した胆振線。しかし、赤字ローカル線廃止の一環で1986年に姿を消しました。奇しくも、最後の「倶知安行き」最終列車が走ったのも10月の末日深夜。

 北海道映像記録株式会社が1987年に制作した映画に「鉄路の響き今は遠く」という作品があります。在りし日の胆振線を記録した貴重なフィルム。まだ茶髪もケータイも現れない、事務所の机の上にはパソコンものっていない、一昔前の昭和の風景が少し私を感傷的にさせます。