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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十月の札幌
 
 

 ひとりになって歩きまわった札幌の街は、空気が異質な透明さを持っている感じで、晩秋という季節の美しさが、これほどまでに際立って感じられる都市は、全国でも数少ないのでないかと思われた。(中略)北海道であることが一目でわかる広告写真を――という要求であれば、ある程度やむを得ないかもしれないが、アカシヤかポプラがバックにはいっていれば能事終れりとする行きかたは、健介にはどうしても不満だった。
(仁木悦子「二つの陰画」)

 十月の末、東京・小田急線祖師谷大蔵で起こった殺人事件が思わぬ展開を見せ、読者を札幌の定山渓へと誘います。仁木悦子の小説が東京を離れることは大変珍しい。しかし、やはり仁木悦子はセンスがいいな…と感じさせるのは「冬を迎える前のりんとした厳しさを空気の底に漂わせ」る札幌を舞台に選んだことですかね。もちろん、アカシヤやポプラじゃなくて、定山渓。

 定山渓は小樽との結びつきもとても深いのです。江戸時代、松浦武四郎も旅行中に川の中に湧く温泉に入ったことを記していますが、同時代の慶応2年、この地に小さな小屋を作って温泉宿を始めたのは小樽の僧・美泉定山(みいずみ・じょうざん)でした。さらに、現在の道道小樽定山渓線の元となる「朝里−定山渓」間の有料道路(!)を切り開いたのが、大宅壮一によって「北海道ならではの怪物」と評された二代目地崎宇三郎です。近くの豊羽鉱山の開発に伴い定山渓鉄道が大正7年に開通。以後、「札幌の奥座敷」としての側面が強調されることが多い定山渓ですが、小樽側からの歴史というものもけっこう古いものがあるのです。