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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



九月の札幌
 
 
 

  石狩の都の外の
  君が家
  林檎の花の散りてやあらむ
 之れ正しく拙宅でありますが、啄木君が札幌に来た。そして間もなく去った。その中に一度拙宅を見舞はれましたが、丁度妹不在の為、啄木君も本意なくも帰られました。但し、小生は其時座敷に招じて御目にかゝりましたが、直に帰られました。
(橘儀一「啄木と橘智恵子」より)

 函館大火で職を失った石川啄木が新しい仕事を求めて札幌駅に降り立ったのは明治四十年の九月十四日でした。その後、同じ九月の二十七日には、もう札幌の新職場である北門新報を辞して小樽に向かっていますから、啄木の札幌時代というのはわずか二週間ばかりということになります。
 その短い札幌滞在のどこかで、たぶん啄木は橘智恵子の実家を訪ねていったのでしょう。智恵子の実家は現在の北11条東12丁目。試みに、啄木が下宿していたとされる札幌駅北口付近の田中サト方から旧元村街道を歩いてみましたが30分もあれば着いてしまう距離です。「石狩の都の外の君が家…」と詠われると、いかにも広大な北国の空間をイメージされると思いますが、これは歌のテクニシャン啄木ならではの演出なのです。

 その時の啄木君は、失礼ながら、私には何等の感興もなかった人でした。否全く知らぬ人でした。一度も妹に石川啄木君と同じ学校で教鞭をとって居るとも聞かず、又妹も啄木君が歌詩壇上に異彩をはなって居た事は知って居ても左程に重きを置いてゐなかった故に、妹が帰宅した時に、「今日、石川と云ふ人が来ましたよ」と、告げたるに「そう!そうですか、あの方は函館で一緒に仕事をして居た方で、新らしい歌よみなんですよ。」そこで私は、始めて啄木君を知ったのでした。
(同書より)

 ところで… 啄木が橘家を訪ねたのが九月と知ると、この「石狩の都…」の歌はけっこう奇妙な歌なんですね。札幌郊外に智恵子を訪ねて行くのに、「林檎の花の散りてやあらむ」はないだろう。季節はもはや真っ赤な林檎が稔ろうとしている秋だぜ!となります。
 やはり、これも啄木の技巧。場面をポーンと数年後の東京に移し、そこから回想する橘智恵子の家には、どうしても白い林檎の花が舞い散っていなければならなかったのでしょう。「真っ赤な林檎のみのりてあらむ」では歌になりませんからね。