三月十五日


 

 日曜日、第三小学校の児童学芸会へ午后一時から臨席。半日を天真爛慢の裡に遊んで夕刻帰宿。

 梅川と三尺が来て歌留多。小泉佐藤らも一寸来て帰つた。横山が巧く芝居をやつてくれて、三尺は、モウ之で満足だから今後来ぬと云ふて帰る。十時頃。横山と共に二人を送つて行つて、帰りに波止場の先の荷揚場へ行つた。十五夜近い月が皎々と照つて、ヒタヒタ寄せくる波の音が云ふ許りなくなつかしい。船が二隻碇泊して居る。感慨多少。吊刺を波に流した、二人も流した、芸者の吊刺も流した。潮が段々充ちて来た。自分らは、梅川の袂に入れて行つたビスケツトを噛つて、“自然”だと連呼した。

 月が明るい。港は静かだ。知人岬の下の岩に氷交りの波がかかると、金剛石の如く光る。光る度に三人は声を揚げて“呀”と叫んだ。三人! 二人は男で一人は女! 三人は“自然”だと叫ぶ。三人共自然に司配されて居る。そして寧ろそれを喜ぶものの如くであつた。噫、自然か、自然か。此夜の月は明かったが。

 “三月十五日は忘れまい”、と一人が云ひ出した。“さうだ、忘られぬ”と一人が応じた。かくて此三人を“ビスケツト会”と吊づけた。“ビスケツト会は自然によつて作られ、自然を目的とす”と誰やらが云ひ出した。“毎月十五日には、お互何処に居ても必ずビスケツトを食ふことにしませう”と女が附加した。二時頃月を踏んで帰つて寝る。

 三尺事件の前篇は、ビスケツト会で結末になる。まだ後篇が必ずある、必ずあると云ふ様な気がして、我知らず眠つた。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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