三月九日


 

 八時頃、飯も食はずに第三学校を辞した。或る漁夫が来て春採の潰家の話をしたからで。

 街上の雪は庇まで達して居る。衣川子を叩き起して春採行の命を伝へ、真砂町を帰ると、入口から雪へ隧道を掘つて、出て来た男を見た。生れて初めての大風雪、形容も何も出来たものぢやない。雪は全く人間を脅迫して居る。

 社に行つたが、工場に雪が這入つて機械に故障あり、止むなく一日休刊。

 夕刻衣川子が来て報告、随分無惨の死を遂げたものもあるとの事。殆んど半日雪の中を歩かしたので、鶤寅へ晩餐を食いに行つた。酒は飲まなかつた。

 衣川から、今迄に三四回自分を留守中に訪ねて来た女が本行寺といふ真宗の寺の娘、小菅まさえ、三尺ハイカラと綽吊された奴だと聞いた。そして鶤寅へ行く途中、真砂町の雪の中で逢つた。帰つて来て見ると、その後で訪ねて来たとの事。所謂三尺事件なる者茲に起る。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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