二月十五日


 

 毎晩就寝が遅いので、起床は大抵十時過であるが、今朝は殊に風邪の気味で十一時に起きた。寒気は余程緩んで来た。南の窓に日が一杯さして、春めいた心持もする。屋根には鳩がポツポと啼く。

 社に行つて、並木翡翠君からの上京の通知に接した。午后三時編輯を締切つて帰る。

 手紙が三本来てゐた。野辺地の父からは、早く此方へ来たいといふ事。堀合の父からは詳しい消息。モウ一本は京なる椊木女史の長い長いたよりで、封じ込めた白梅の花に南の空の春を忍ばしめる。三年前の四月十五日、隅田川辺の桜老いたる伊勢平楼で新詩社の演劇をやつた時、一曲春の舞を舞ふた村松某といふ少女が昨年あへなくも亡き人の数に入り、其母君も間もなく物故せられたといふ。世の中は恁うしたものかと書いてる。世の中〔と〕いふ言葉はヒシと許り胸に応へた。

 四時半頃から有馬君のために催した釧路座の薩摩琵琶会に行つた。定刻の六時過ぐる十分の頃には既に木戸〆切といふ盛会、釧路初めてだといふ。琵琶は左程でもなかつたが、琴、ヴアイオリン、剣舞、独吟など、仲々に陽気であつた。佐藤衣川子の剣舞には僕が詩吟をやつた。

 鶤寅と鹿島屋から芸妓が来て居た。背の低い丸顔の、本行寺といふ寺の娘の伊藤某女は、明後日の愛生婦人会総会は、貴君に攻撃されるから、時間は正確に午前十一時から初めるといふて居た。椊木の千ちやんから来た白梅の花を、どこやら面影の似通つて居る鹿島屋の市ちやんにやつた。

 会が済んでから、明晩は釧路北東二新聞合同して余興に文士劇を三幕やるといふ事が決定した。僕も亦出演するので、筋は新聞社探訪の内幕といふ話。僕の役は日景君と共に記者になるのだ。

 北守夫人や鈴木信子女史や、釧路婦人会の連中も来て居たので、先日紙上で幽霊婦人会と攻撃してやつた話が出た。上遠会員を募集するといふて居た。これは自分の記事の反応だ。

 十時半帰る。正実堂へよつて“滝口入道”買ふ。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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