二月十二日


 

 今日は編輯局が賑やかであつた。日景緑子に播州赤穂で芸者をして居る“みどり”といふ女から長い手紙が来た。緑子はそれを読んで聞かせる。早速それを編輯日誌にかいた。小南子、宿酔の気味で時々女中美論を称へる。

 三時半に〆切つて、宿へ帰つて小南子と夕飯を共にし、仏教論や人生論が出た。そして人間といふものは、考へれば考へる程ツマラヌ者だと云ふに帰着した、上如、そんな事は考へずに人生の趣味を浅酌低唱裡に探るベしと、乃ち相携へてに進撃した。

 二階の五番の室を僕等は称して新聞部屋と呼ぶ。小玉と小静、仲がよくないので座は余りひき立たなかつたが、それでも小静は口三味線で興を添えた。煙草が尽きて帰る、帰りしなに小静は隠して居た煙草を袂に入れてくれた。

 此日は余程好い日であつた。朝に、小樽の沢田信太郎君、藤田高田両少年詩人、及び本田荊南君からの詳しい消息に接し、社に行つて京なる与謝野氏のハガキを見た。

 寝たのが一時。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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