二月十日


 

 目のさめたのが十一時。驚いて飛び起きて、朝飯もソコソコに済まし、社にゆくと上取敢昨夜の話が出た。お安くないと云ふ、いや高くもないと云ふ。こんな事から段々釧路の事情が解つて来る。

 小静の事を少し書いて置かうか。彼自身の語る所では、生れは八戸、小さい頃故郷を去つたといふ。両親は今此町に居て、姉なる小住と二人で喜望楼の抱妓になつて居るが、家には二才になる小供があるとの事、一昨年から昨年へかけて半年許りも脳を煩らうたと云ふが、成程其目付が、何処か恁うキラキラして居て、何となき上安を示して居る。そして札幌の大黒座で堀江四郎、川上薫、稲葉喜久雄等と共に壮俳になつて居る朝霧映水と云ふのが、彼女の兄だと云ふ。兄は声がよくて、且つ三味線や唄は、妹が師匠から稽古するのを、聞いて居ただけに覚える程、芸にさとい方ださうな。……人の話によると、彼女の二才になる小供といふのは、雲海丸(運開丸?)の船長とかの間に出来たのださうたが、今の芸妓十人中、芸にかけては小静の右に出るものなく、又顔から云つても助六の次であるといふ。そして脳を悪くした為めに、時としては上意に卒倒する事があるさうで、今、知れ渡つて居る弗旦は笠井病院の万沢医学士と、モ一人は仲買商の富士屋と云ふ男なさうな。又彼女自身は、北東新報の社長たる西嶋君から、嘗て結婚を申込まれたが、断つて了つたので、その所為か北東紙は常に悪感情を持つた記事を掲げると喞して居た。

 今日漸やく今月の“明星”が来た。

 夕方宿に帰ると、せつ子と母から弁解の手紙が来て居た。

 今夜と明晩、新夕張炭山の惨事の為めに、北東社が催した慈善演劇会があつて、社中の者のみで演ずるといふから、七時頃釧路座へ見に行つた。随分上真面目なものだ。記者だけでやつた中幕“編輯局の光景”で横山君の芸妓お佐勢だけは実に巧かつた。記者席の向ふの桟敷には、鹿島やの市子やの初子が来て居て、其処へ行く男の方が、芝居其物よりも多く人の注意を牽いて居た。十一時帰る。

 今月の文芸倶楽部は発売禁止になつた。それを鈴木正実堂から特別を以て持つて来た。巻頭生田葵君の“都会”、普通の事件を新らしく書かうと云ふのが同君近頃の立場らしい。此篇の如きも其意味に於て幾分の成効をして居るが、禁止になつたのは多分此うちの或部分が余程赤裸々な書方をしてる為であるらしい。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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