二月八日


 

 今日は時計が無いので、何となく張合がなかつた。習慣といふものは恐ろしいものだ。

 昼頃、一寸支庁へ行つて、第一係首席の梶君に逢ひ、第三学校の事を談じて、四月迄には校長其他二三を動かすといふ言質を得た。吉野君を釧路の学校へ呼ぶことを話して、至急交渉する事を頼まれた。

 今夜は、函館なる宮崎吉野二君へ長い手紙を認めた。宮崎君へは、自分が今感じて居る所謂現実暴露の悲哀について詳しく書いた。

 虚無といふ語が、此頃漸々恐ろしくなくなつて来た。“自然主義が処世上について人間を教訓し得る語は、唯勝手になれといふ一言のみだ”と書いた。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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