一月十八日


 

 起きて飯を食ふと、ドンが鳴つた。山田町の伯父さんが来て行つた。

 三時日報社に行つて白石氏に逢ひ、十円貰つた。買物して帰ると、桜庭から人を以て断りの事を云つて来たとの事、自分は成す所を知らなかつた。形勢斯く激変しようとは毫も予期して居なかつたので、実際自分は途方に暮れた。日が暮れてから待ちに待つた奥村君が来たので色々相談したが、妙案が浮ばぬ。兎も角も一応桜庭へ行つて見る事に出かけたが、途中立小便して巡査の小言を喰つた。桜庭へ行つたが老母が一人居た。頗る要領を得ず。帰つて相談して、仕方がないから沢田へ行く事にした。

 山田町の伯父さん夫婦も来て居た。自分は生れてから此時許り困つた事がない。漸々話をすると、沢田君の顔色は思つた程でなく、且つこれは多分函館の岩崎の方の中傷のためだらうから、これさへ充分弁解すればよいといふ話であつたから聊か安心はした。三時頃漸く帰る。

 小樽に於ける最後の一夜は、今更に家庭の楽しみを覚えさせる。持つて行くべき手廻りの物や本など行李に収めて、四時就床。明日は母と妻と愛児とを此地に残して、自分一人雪に埋れたる北海道を横断するのだ!!!

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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