一月十三日


 

 九時頃、山田町なる沢田君の伯父君の訪問を受けて起きた。顔を洗ふて居る所へ本田君が来た。本田君の話によれば、北門新報の休刊について、社長村上祐氏を初め、主筆上野屢履氏佐々木秋渓君等皆本田君の居る小樽支社に来て、鳩首前後策に腐心して居るとの事であつた。

 山田町の伯父さんは無論沢田君の縁談一件に関してであつた。万事虚飾を避けて一日も早く迎へるといふ事にきまる。

 十二時頃、朝飯と昼飯を一緒に済まして相生町の桜庭家を訪ふと、母堂が頭痛で就褥して居られる。仕方なく帰つて来た。一体保君とちか子さんとは義理のある異母妹の間なので、保君にあつては成るべく世間体を飾りたいのであるから、双方の事情上単簡に済すには、先づ母堂を説かねばならぬのだ。

 三時頃日報社に行つて宿直室で白石社長に逢ふ。(薩張僕の所へ来て呉れないが、怎して居たんです。)と喜色満面で這入つて来られた。(我儘一件があるんで怎も気が済まぬもんですから。)と迎へた。自分が旧臘我儘を起して日報を退いてから、今初めて社長に逢つたのだ。

(二三日前は、沢田君の手から頂戴したですが、何とも御礼の申様がありません。)

(イヤ何。何れまた何とかするつもりで居たんだが、……怎です、タイムスの方の話が纏りましたか。)

(否、何にもキマリません。天下の浪人です。)

(あの方の話が沢田君からあつたから、自分でも出来るだけ運動して見るつもりで居たのだが、怎です、釧路へ行つて貰ふ訳に行かんのですか。実は君には御母さんや小さい小供もあるといふ事なので、釧路の様な寒い所へ行くのは怎かと思つて躊躇して居たんですが。)

 恁くて同氏が十何年前から経営し来つた釧路新聞の事を詳しく話されて、結局自分は、家庭は当地に残し、単身白石社長と共に十六日に立つて釧路へ行く事になつた。釧路は無論人口僅か一万の小都会に過ぎぬが、今其新聞は普通の六頁に拡張せんとして居るので、自分の責任も軽くはない。日報へ復旧してもよいと云ふ話だつたが、遠からず一大改革をした後には自分の勝手で釧路に居るなり日報へ来るなり怎でも構はぬと云ふ話であつた。

 十六日に立つと云ふのは、聊か面喰つた。然し必ずしも一緒に行かなくともよいと〔の〕話ではあつた。予は外に何も面倒はないが、沢田君とちか子さんを二人並べて、一度でもよいから、“奥さん”と云つてからでないと怎も気が済まぬ。此事を社長に話すと、至極喜んで呉れた。

 本田君へ寄ると、加減が悪いと云つて寝て居た。釧路行を話して、日報改革後共に携へて同紙へ這入るといふ内約を整へた。北門の如き悪徳を敢てするを否まざる新聞に居ることは同君も大に上快に思つて居るのだ。斎藤君へ寄る。晩酌中であつたので、早速二盃許りやらせられた。焼鮭で飯を喰つて辞し去る。同君も喜んで居た。

 家に帰つて話すと異議のあらう筈もなし。真栄町にちか子さんを訪ふと相僧留守。途中福原病院の坂で二度辷つて転んだ。

 奥村君を訪ふと病気で寝て居た。今日は怎したものか病気が流行する。沢田君へ行つて十時頃帰る。一件は出来る事なら十五日にやりたいものだ。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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