一月十一日


 

 昨夜の事を考へると、何となく楽しい様な心地がする。世の中が急に幾何か明るくなつて、一切の冷たい厭な事が、うら若い男と女の心によつて暖められた様だ。運命と云ふ事が切りに胸中を往来する。

 八時少し過ぎに奥村君を訪問して、借りて居た金を返し、昨夜の話をすると、奥村君も手を打つて喜んだ。実に思がけない頼母しい男だ。

 午后、出かけようと思つてる所へ、大硯君が来て、三時半頃まで居た。樺太へ行つて宗教を剏めようと大に気焔を吐く。矢張僕等と同じに、空中に楼閣を築く一人だと思ふ。

 相生町に桜庭保君を訪うて、赤裸々にちか子さん一件の話を出す。向ふでも隔てなく話してくれて、一家の経済的事情から何から皆聞いた。要するに本人の意衷如何にあるので、自分等に於ては決して束縛はせぬ、が事情はこれこれだと云ふ。暗くなつてから帰つて来た。

 予は此事件には天祐があると信ずる。既に当事者二人の心に相許してあれば、現下の社会主義と同じで、問題研究の時代でなく、其実現方法研究の時代であるのだ。奥村君と共に沢田君を訪ふと、沢田君は小児の如く喜んで居る、母君も大に喜んで居る。

 話に興が湧いて午前三時帰つて来た。男と女の問題や、埋もれたる天才の話は、深くも三人の心を楽ませた。予は白沢末蔵の話をしたのであつた。

 それから、此日沢田君が山田町の伯父伯母を誘うて、一件の話をすると、これも大喜びで、一切僕に運んで貰へと云つてるとの事であつた。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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