一月十日


 

 午前の中に小国君が日報の札幌支社に入る件が決定。午後同君の札幌に帰るを送つて、石原の宿まで行き、一緒に晩餐を認めた。

 日が暮れると、すぐ出懸けて、真栄町に桜庭ちか子君を訪ふ。永く永く忘られぬ此夜の事は成るべく詳しく書いて置かねばならぬ。

 女史は今歳二十五になつた。区役所に居る学事の桜庭保君の異母妹で、今潮見台小学校に教鞭を採つて居られる。天性画が好きで、所謂才色兼備の、美しい、品格のある婦人。嘗て予が小樽日報の三面をやつて居た時、確か昨年拾月末の頃であつたと思ふ、三面に入れる挿画を此人に頼む事になつて、其以後二三回逢つたのであったが、予の知る限りに於て最も善良なる婦人の一人である。奥村君嘗て評して“共に泣き得る女”と云つた。

 沢田君が日報へ来た当座から、予は此二人を好一対の配偶だと思つて、それとなく沢田君の心を探つても見たが、無論何の異議のあらう筈がない。其後沢田君自身が奥村と共に彼女を訪問したと聞いて、密かに喜んで居たのであつたが、昨夜谷鯉江の一件を聞いてから、急に此問題は急ぐ必要があると感じた。

 行つて案内を乞ふと、迎へたのが彼女自身。坐に就いて、其れや此やの話から八時頃まで盛んに予の主張に就いて論じたが、イザ本問題となると仲々緒が見付からぬ。これは何日そ例の赤裸々の方がよいと思つて、遂々口を開いた。

(実は、今夜は少しお伺ひしたいことがあつて、お訪ねした次第なんですが、……)

(甚麼事か存じませんが、若し出来る事なら何でも……)

(別に六ケ敷い問題ではないんですけれど、少し云ひ難い問題なんですがな。)

(若し私で出来ます事なら何卒……)

(実は其少なからず云ひにくいんです。詰り其何ですな、其、怎も云ひにくいんです。)

(…………)

(貴女は、結婚なさらんですか。)

 彼女は少なからず驚かされた様であつたが、暫しあつてから、

(思懸けないお話で、何と急にお返事してよいか解りませんけれど、私は当分まだ学校の方をやつて居たいと思つて居るのでムいますが……。)

(然うですか。それは大に困ります。実は僕大に勇気を鼓して、今夜此事をお話に参つたのなんで……。初め、其何でした、或人の事をそれとなく詳しくお話した上で、詰り其人の性格や経歴を充分虚心平気の裡に聞いて頂いた上で、今申上げ〔た〕問を発しようと云ふ心算だったのですが、先刻から堅い事許り喋つたものですから、怎も然う円曲な云方をすることが出来なくなつて、遂其単刀直入と出かけた次第です。……其当分御結婚なさらぬと云ふのは、一体怎した理由なんでせう。)

(別に理由と申しても無いのですけれど。……アノ若しお差支が御座いませんければ、 ――と思悩んで――其お話を聞かして頂く訳に参りませんでせうか。)

(何も差支は無いですがな、……)

(そんなら何卒聞かして頂きたいものですが……)と彼女は余程思込んだらしい。

(僕に一人の友人があるです。)と、予は、沢田君に関して知つて居る限り、少時東洋風の豪傑肌な男であつたのが、或事件によつて急に性格の一変した事、其事件は、岩崎君の亡き姉との恋が許嫁と云ふ段取にまで進んで居たのを、其人が病死した事で、其後其故人の姉なる人と婚したが、何の同情なき家庭は、遂に昨年函館大火に及んで、沢田君の悲しき決意と共に破れた事、其他様々細かい点まで話して、(それは外でもない沢田君なんです。……怎でせう。貴女は此男に同情して、そして此男を上幸から救つて下さる訳に行かんでせうか。最も此事は今夜沢田君と何の相談なしにお話するのですが、詰り、万々一御承諾を得難い様な時には、私だけの秘密として葬らうと思ふからですが、然し沢田君の貴女に対する心持は、私充分友人として知尽して居るのです。)

 彼女は暫く考へて居たが、(恁那事申上げてよいか怎か解りませんが、実は沢田さんから昨夜お手紙を頂戴いたしたのです。それで若しやと思って只今御話を願つた訳でムいますが、……此事に就いて実は母と相談したいと思つて、今夜来て呉れる様にハガキを出して置きましたが、参りませんです。先刻貴兄がお出の時に、実は母かと思つたのでした。)

 予は沢田君の機敏なる行動に、聊か驚いた。然し其手紙といふのは、単に“自分は貴女と結婚する事を人から勧められて居る。其為虚心で御交際する事が出来ぬ。自分は嘗て結婚について苦い苦い経験を持つて居る。だから之を全部貴女にブチマケテ、自分の心に曇りをなくして交際したい”と云ふ意味に過ぎなかつた。此単なる手紙によつて母とまで相談する彼女の心理を忖度して、予は水心あれば魚心だと観測した。そして自分が沢田君の心を忖度して云つた事が此手紙によつて確められたと云ひ、切に決意を促がし、且又、自分自身の敬朊する貴女を是非自分の知つている人に嫁したいからと頼み、沢田君の孤独を救はむことを求めた。彼女は胸襟を披いて種々一家の事情を語り、兄とは義理ある我が母を、如何にもして自分が引享けて養ひたいと思つて今迄独身でやつて来たと話した。予は此事によつて一層彼女の美しい心を感じた。

 然し予は、(何れ母や兄と相談してから。)と云ふ彼女の、並大抵の返事に満足しなかつた。沢田君が既に意を決して手紙まで差上げ、自分の心を打明けむと云ふに至つては、貴女の心一つで彼は再び以前の深い苦痛を繰返さねばならぬかも知れぬ。自分は無論然らざらむことを祈るが、万一然うであるとすれば、友人たる予は何とかして其苦痛を出来るだけ軽く彼に感ぜしむる様な手段を採らなければならぬ。問題の調上調は別として、茲で単に貴女一個のお心を、友人なる私にまで洩して貰ひたいと迫つた。予は辞を尽して説いた。彼女は深く深く考へた末遂に

(私一人では、喜んでお享け致します。)

と云つて、静かに俯向いた。洋燈の光が横顔を照して、得も云はれぬ。ほつれ毛が二筋三筋幽かに揺いで一層の趣きを添える。予は恰も恁う夢でも見てる様な気がした。そして大に喜び、且つ感謝した。

(尤も沢田君と雖ども生きた人間だから欠点があるですがな。例へば、沢田君は去年火事後に擬似赤痢をやつて以来、腸が弱いです。これも一つの欠点ですな。それから之は就中大なる欠点で、僕も仲々朝寝をしますが、沢田君は或は其点に於て僕以上かも知れないです。)と云つた所が、彼女は幽かに美しい歯並を見せた。(僕は大いに愉快です、満足です。僕は、其、国の盆踊を知つて居るんです。これは函館の未曽有の大火の晩に踊つたので、頗る履歴付な踊なんですが、今度それを踊つて御覧に入れます。それは頗る巧いです。)

 恁くて、前夜来たと云ふ谷と鯉江が、今後毎日曜に会いたいと云つた事を、如何にすべきかと云ふ事に就いて話し合つた末、自分は満心の愉快を覚えて辞して帰つた。午后十時。

     ――・――・――・――・――・――

 帰つて見ると、留守中に恰度沢田君が来て、白石社長からの厚い好意なる――釧路新聞に書いて呉れろといふ原稿の前金として、――十円を置いて行つたとの事であった。予は大体の事を母や妻に話して早速沢田君を訪ふた。幸ひまだ起きて居たが、仔細を話して同意を需めると、賛成の上賛成のと云ふ段ではない。初めから彼の心は然く決心して居たのであつた。且つ彼女の事は山田町の伯母からも、以前から勧められて居るとの事。一時半に帰って寝た。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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