一月九日


 

 午前露堂君と共に沢田君を訪ふたが留守。夜再び訪ふと、奥村寒雨君が行つて居て、二人で僕の所へ来ようと云ふ話の最中であつた。四人火鉢を囲んで煙草の煙と共に気焔を吐く。

 日報社へ今度来て理事になつた華族の妾腹の子で法学士だといふ谷寿衛が蕩児鯉江の先棒で今夜桜庭女史を訪問した、といふ話は、大に予を激昂せしめた。沢田君は大いにハシャギ出して、東京で同じ下宿で出くはした、吟声の巧みな女の話などをする。自分も大に火鉢の縁を叩いて弁じた。何日しか問題は社会主義に移り、革命を談じ、個人の解放を論じ、露堂君と予は就中壮快な舌戦を試みた。家へ帰つたのは正に午前一時二十分。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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