一月一日


 

 起きたのは七時頃であつたらうか。門松も立てなければ、注連飾りもしない。薩張正月らしくないが、お雑煮だけは家内一緒に喰べた。正月らしくないから、正月らしい顔したものもない。

 廿三歳の正月を、北海道の小樽の、花園町畑十四番地の借家で、然も職を失うて、屠蘇一合買ふ余裕も無いと云ふ、頗る正月らしくない有様で迎へようとは、抑々如何な唐変木の編んだ運命記に書かれてあつた事やら。此日は昨日に比して怎やら肩の重荷を下した様な、果敢ない乍らも安らかな心地のする中に、これといふ取止もない、様々な事が混雑した、云ふに云はれない変な気持であった。実に変な気持であつた。変な気持と云ふ外に、適当の辞がない。

 十一時頃出掛けて見た。世の中は矢張お正月である。天も地も、見る限りの雪も、馬橇の馬も、猫も鳥も家々の氷柱も、些とも昨日に変つた所はないが、人間だけは――実にその人間だけは、とんでも無い変り様をして居る。昨日は迂散臭い目付をして、俯向いて、何と云ふ事なしに用事だらけだと云つた風な急ぎ足、宛然葬式にでも行く人の様に歩いた奴が、今日は七々子の羽織に仙台平の袴、薩張苦が無い様な阿呆面をして、何十枚かの吊刺を左手に握り乍ら、門毎にペコペコ頭を下げて廻つて居る。今日になつて怎う万遍なくお愛相を振蒔く事が出来るなら、何故昨日も一日笑つて居なかったか。自分等が勝手に拵へた暦に勝手に司配されて、大晦日だと云へば、越すに越されぬ年の瀬の浮沈、笑顔をしては神仏の罰が当ると云った様に、誰も彼も葬式面の見つともなさ。一夜あけての今日だとて、お日様は矢張東から出て、貧乏人は矢張寒くて餒じからうに、炭屋の嬶までお白粉つけて、それを復お屠蘇で赤くするとは何の事だらう。考へる迄もなく、世の中はヘチヤマクレの骨頂だ。馬鹿臭いを通り越して馬鹿味がする。

 考へる迄もない事を、怎う兎や角考へるのは、然し乍ら、これ実に自分自身が貧乏人であるからなのだ。俺だとて、生活の苦しみと云ふものがなく、世間並に正月が来れば家内一同へ春着の一枚宛も着せる様なれば、愚痴は愚かな事、御芽出度うを百回云はされても敢て上平は唱へぬかも知れぬ、正月があったとて別した搊害を享ける訳でもないのだから。人間は本来横着なものである。世の中は何処迄も馬鹿臭いものである。

 又考へた。人間の本来の本来は決して横着なものではない。人生は決して馬鹿臭いものではない。何故に人間に横着な考が起り、人生が馬鹿臭くなつたか。茲に一家族があるとする。其家族の中、主人一人を除いた外は、皆老人や婦人や小児だとする。そして主人は何かしら一人前の働きをして月々十五円なり二十円なりの俸給を得て居て、其俸給が其家族全体の生活費に足らぬとする。(現在では立派に人一人前の働きをして居乍ら二十円以下十円位迄の俸給を得て居るものが珍らしくない。少なくとも家族全体を養ふだけの俸給を得て居ないものが珍らしくない。)その家にも、富豪の家と同じに大晦日が来る。米屋魚屋炭屋から豆腐屋に至るまで、全部の支払をせねば、明日からの生活の資料を得られぬと云ふ恐ろしい大晦日が来る。過ぎたるは及ばざるが如しと云ふが、足らぬ金で全部の支払は出来る理があるまい。サア此処だ。此借金の申訳は誰がする。一人前の働きをして居て何一つ悪い事せぬ主人自身、若しくは其何の罪なき家族の誰かが、否応なしに頭を下げ手を揉んで、心にも無いお世辞やら申訳やらを列べねばなるまい。誠に変挺な話ではないか。

 此驚くべき上条理は何処から来るか。云ふ迄もない社会組織の悪いからだ。悪社会は怎すればよいか。外に仕方がない。破壊して了はなければならぬ。破壊だ、破壊だ。破壊の外に何がある。

 沢田君は留守であった。稲穂小学校の前を下りて来ると、恰度四方拝の式が済んだと見えて、取置きの身装に心から嬉しさうな女の児等がゾロゾロと校門から出て来る。雪路の狭い所を、小児等に立交つて歩いて居ると、何だか恁う底の底から微笑まれる様な、ホントの正月らしい心地になった。斎藤大硯君も留守。其儘帰る。家に入りて見ると、依然として正月らしくない。廻礼に行って来た自分自身も、振かへつて見るに、些とも正月らしい所がない。着た儘の外に一枚もないのだから紋付も着ず、袴は例の古物一着、沢田君から借りて居るインバネスも、飽迄正月らしくない代物だ。

 昨日から初めた英語の復習をコツコツやつて居ると、出入の魚屋や炭屋が廻礼に来る。特務曹長の正装した日報の佐田君も奥村君と一緒に来た。白昼の猿芝居を見る感がある。藤田武治は吉野花峯といふ男を連れて来た。在原も来た。区役所の桜庭保君も来た。

 夜、校正の白田が酔払つて来た。餅を食はした所が、代議士になるといふ怪気焔を吐いた。憐れなもんだ。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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