大北堂から太陽、新小説、趣味の三雑誌を届けて来た。
夕方本田君に誘はれて寿亭で開かれた社会主義演説会へ行つた。樽新の碧川比企男君が開会の辞を述べて、添田平吉の「日本の労働階級《碧川君の「吾人の敵《何れも余り要領を得なかつたが、西川光二郎君の「何故に困る人が殖ゆる乎《「普通撰挙論《の二席、労働者の様な格好で古洋朊を着て、よく徹る蛮音を張上げて断々乎として話す所は誠に気持がよい。臨席の警官も傾聴して居たらしかつた。十時頃に閉会して茶話会を開くといふ。自分らも臨席して西川君と吊告合をした。
帰りは雪路橇に追駆けられ/\、桜庭保君と一緒だつたが、自分は、社会主義は自分の思想の一部分だと話した。
この日「明星《と新詩社吊簿が来た。
新詩杜のやり方は一種の臭味があつて可かぬ。
※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人