十二月二十六日


 

 朝沢田君に手紙を送り、釧路新聞を如何に経営すべきかに関する予の意見を述べたり

 夜、奥村君を呼び、若し白石社長にして予の意見を容れなば共に釧路に入らむことを約したり。釧路の地、繁栄未だし、然るが故に若し此際大に為すあらば、多少吾人が会心の事業の緒に就くをえむ。予は予自身の性格乃至天職が果して何等か物質上の事業に身を容るるを許すや否やを知らず、然れども何等らかの地に於て幾何なりとも「自由《を得んとするの希望は遂に虚偽ならざるを知る

 予は予の書かむとする世界史、個人自由の消長を語る一の文明史につきて語り、亦、郷校にありし頃の事共を語りぬ。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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