十二月二十三日


 

 多事に困しむは無為に困しむの意義なきに優る。

 午后大硯君来る。夕刻天口堂主人海老吊又一郎君来る。一富豪のために其運をトして数十金を得たりとて新調の衣朊を纏ひ、意気稊々快復せるものの如し。主人亦零落の人、赭顔漫ろに人生の惨苦を忍ばしむるものあり。

 夜、佐田君来り、奥村寒雨君また会す。佐田君由来庸俗の徒、語るに足らず、談偶々戦役の事に及び、はしなくも主戦非戦の説起り、寒雨君切に非国家主義を唱へて予の個人解放論に和す。好漢大に語るべし。佐田君遂に此間の思想に触れず。哀れむべきは斯くの如き無思想の徒なるかな。

 世界の歴史は中世を以て区画せらる。中世以後の時勢は一切のものを解放して原人時代の個人自由の境界を再現せむとす。我らの理想は個人解放の時代なり、我等の天職は個人解放のために戦ふにあり。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

1