十二月 ―小樽―


 

 十一日札幌に行き、小国君の宿にとまる。翌日山崎周信君と初めて会見す。中西代議士の起さむとする新聞に就て熟議したり。

 十二日夕刻の汽車にて帰り、社に立寄る。小林寅吉と争論し、腕力を揮はる。退社を決し、沢田君を訪ふて語る。

 十三日より出社せず。社長に辞表を送る事前後二通、社中の者交々来りて留むれども応ぜず。

 十五日小国露堂君札幌より来り、滞樽一週間。

 二十日に至り、社長より手紙あり、辞意を入れらる。

 二十一日の新聞には退社の広告を出し、二十二日の新聞は沢田君の予に別るるの辞を載せたり。

 大硯斎藤哲郎君、小国君沢田君等、予の将来に関して尽力せらるゝ所あり。予は我儘を通すを得て大に天下太平を叫ぶ。

 予の日報に書きたるもののうち当時を紀念すべきものを抜萃して「小樽のかたみ《を作る。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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