十月五日


 

 既に工場の整頓終り原稿の催促頻りなり。此日より編輯に着手す。園田君より八日ゆくとの返電あり

「明星《十月号来る。綱嶋氏の令弟建部氏よりは、囊きに送れる新聞の礼状来る。

 帰りは野口君を携へて来り、共に豚汁を啜り、八時半より程近き佐田君を訪ねて小樽に来て初めての蕎麦をおごられ、一時頃再び野口君をつれて来て同じ床の中に雑魚寝す。

 社の岩泉江東を目して予等は「局長《と呼べり。社の編輯用文庫に「編輯局長文庫《と記せる故なり。局長は前科三犯なりといふ話出で、話は話を生んで、遂に予等は局長に朊する能はざる事を決議せり。予等は早晩彼を追ひて以て社を共和政治の下に置かむ。

 野口君より詳しき身の上話をきゝぬ。嘗て戦役中、五十万金を献じて男爵たらむとして以来、失敗又失敗、一度は樺太に流浪して具さに死生の苦辛を嘗めたりとか。彼は其風采の温順にして何人の前にも頭を低くするに似合はぬ隠謀の子なり。自ら曰く、予は善事をなす能はざれども悪事のためには如何なる計画をも成しうるなりと。時代が生める危険の児なれども、其趣味を同じうし社会に反逆するが故にまた我党の士なり焉。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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