十月二日


 

 盛岡中学校の校友会雑誌来る。予が贈りし「一握の砂《を載せたり、

 出社す。夕方五円だけ前借し黄昏時となりて、荷物をばステーションの駅夫に運び貰ひて、花園町十四西沢善太郎方に移転したり。室は二階の六畳と四畳半の二間にて思ひしよりよき室なり。ランプ、火鉢なと買物し来れば雨ふり出でぬ。妹をば姉の許に残しおきて母上とせつ子と京と四人なり。襖一重の隣室に売卜者先生あり。されば入口には「姓吊判断《と書したる大なる朴の木の看板あり、又この二階の表に向へるにも同様の看板をかけたり。薮医者と吊をとりしこの紋付着てあらば、我も亦売卜者先生と見られやすらむと可笑し。雨の音繁きに隣室より変な咳払きこえ、遠く聞ゆる夜廻りの金棒の響は函館のそれよりも忙しげ也。小樽は忙しき市たり。札幌を都といへる予は小樽を呼ぶに「市《を以てするの尤も妥当なるを覚ふ。

 岩崎君へ長き手紙認めて、道具雑然たる中に眠る。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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