九月二十一日


 

 朝早く梁川氏死去の報知来る、弟建部政治氏外五吊連書、坪内博士は友人として吊を掲げたり

 八時四十分せつ子来る、京子の愛らしさ、モハヤ這ひ歩くやうになれり。この六畳の室を当分借りる事にし、三四日中に道具など持ちて再び来る事とし、夕六時四十分小樽にかへりゆけり。

 夜小国君来り、向井君の室にて大に論ず。小国の社会主義に関してなり。所謂社会主義は予の常に冷笑する所、然も小国君のいふ所は見識あり、雅量あり、或意味に於て賛同し得ざるにあらず、社会主義は要するに低き問題なり然も必然の要求によって起れるものなりとは此の夜の議論の相一致せる所なりき、小国君は我党の士なり、此夜はいとも楽しかりき、向井君は要するに生活の苦労のために其精気を失へる人なり、其思想弾力なし、

 宮崎大四郎君に手紙かけり。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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