九月十九日


 

 朝窓前の蓬生に面しと/\と降り濺ぎて心うら寂しく堪え難し。小樽なるせつ子及び山本の兄、京なる与謝野氏、旭川の砲兵聯隊なる宮崎大四郎君へ手紙認めぬ。書して曰く、我が目下の問題は如何にして生活を安固にすべきかなり、又他なし。哀れ飄泊の児、家する知らぬ悲しさは今犇々とこの胸に迫る、と。書し了って一人身を横へ、瞑目して思ふ事久し。

 あゝ我誤てるかな、予が天職は遂に文学なりき。何をか惑ひ又何をか悩める。喰ふの路さへあらば我は安んじて文芸の事に励むべきのみ、この道を外にして予が生存の意義なし目的なし奮励なし。予は過去に於て余りに生活の為めに心を痛むる事繁くして時に此一大天職を忘れたる事なきにあらざりき、誤れるかな。予はたゞ予の全力を挙げて筆をとるべきのみ、貧しき校正子可なり、米なくして馬鈴薯を喰ふも可なり。予は直ちにこの旨を記して小樽なる妻にかき送りぬ。

 函館なる大竹敬造(弥生校長)より来書あり、今月分の予が俸給日割四円二十七銭為替して送り越しぬ。書中に曰く、「好運児!《噫我も人より見れば幸運の児なりけるよ。湯銭なく郵税なかりし予はこの為替を得て救はれぬ。大なる手あり予を助けたる也、願くは予をして自重の心を失はしむる勿れ。

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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