九月十七日


 

 昨夜求め来れる独文読本の一、今日より毎日午前に少しづつやる事とす。北門歌壇と秋風記を書いて編輯局に投ず、

 今日校正は七時前に済めり。和光君は最も哀れなるデカダン的人物なり、彼の語る処によれば、彼に嘗て妻ありしも死したり、外に相慕へる女あり、彼が東京にありて速記を学べる時その女学資を給しき、その後女の家は祝融の禍に逢ひ家計傾けるを以て、和光君は毎月若千の金を送れり、今年七月、彼女は高商出の一青年紳士と結婚せり、あはれ其時の我が心地よとて、彼は其当時の女の手紙を予に示しぬ。女も亦初めは我が和光君を恋ひつつありしものの如し、彼は今生活の目的を有せず、又そを励ますものもなし、彼何故生けるや、我之を知らず。

 夜、日本基督教会にゆきて演説をきく、高橋卯之助氏の「失はれたる者《路可伝の放蕩息子の話の研究にして少しく我が心を動かせりき、

 太陽に独歩の「節操《を読む。彼は退歩しつつあり、

 


※テキスト/石川啄木全集・第5巻(筑摩書房 昭和53年) 入力/新谷保人

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